- イスラエル10部族は神武天皇とともに日本へやって来た!?
- イスラエルの「歴史」に出てくるアッシリア、スバル人、シュメール人、ウバイド文化、サマリア人、モーセについて
- バビロン捕囚からの帰還の時期に活躍した「ユダ族」の総督ゼルバベルと「レビ族」の大祭司ヨシュア
- 「ペルシャザールの饗宴」で、治世の終焉示唆がなされた 新バビロニアの王の子「ネブカドネザル2世」。イエスの成長を恐れた「ヘロデ王」
- 「天皇の命」のもと中東を治めていたのはユダ族のユダヤ人!?伊勢神宮は「ユダ族の宮」!?イエスと南部せんべい.......
- 中東における戦乱、迫害の歴史と日本から初まるNWOに警戒!!
- 神武天皇が帆船 に乗船した可能性は?
- 大天変地異により、不合朝(フキアエズ)時代73代神武天皇の御代に古代テクノロジーが失われてしまった可能性
- 失われたムー大陸!?跡に遺る 「天皇海山群」
- 瀬戸内海の海進の水没から避難した天皇が向かった先はペルシャ湾。「シュメール文明]とは!?
- 「日ユ同祖論」「失われた10部族」と「徐福伝説」への懐疑
- 徐福伝説
※ 万人向けの一般的ではない内容も含まれております事をあらかじめお断りしておきます🙇
イスラエル10部族は神武天皇とともに日本へやって来た!?
イスラエル10部族が紀元前に日本に渡来(里帰り)している確証がつかめませんが、神武天皇のご子孫という女性が動画で驚きの古代文明についてお話されています。
「イスラエル12部族」に関する ところを抜粋いたします。
※ 特定の「信仰」をおもちの方には触れる内容かもしれませんのでお勧めいたしません_(._.)_
◆ 神武天皇はヨーロッパを出て紀元前450年に来ている日本に。50年は経っているので実際はBC4世紀。
神武天皇の父(イエヒミルコ総督)が出発したのは紀元前450年。
(同年という事はあり得ないので、勘違いかもしれません)
タルソソ港を出港し、(イスラエル部族)3000人が帆船でインド洋をわたり日本へ来た。
シルクロード経由ではない。
欧州→大西洋ルートで北米をまわってカムチャッカから北海道の釧路の港へ。
釧路→日高→函館の茅部(かやべ)で、原日本人のアイヌ人=カラマヤ族(コロボックル)と合流。
茅部の辺りに一大縄文集落があり混血している。アイヌ人とコロボックルが混血している。
BC10650年に、日本のミカド(天皇)が四国からペルシャ湾に向かい上陸。
瀬戸内海ができたときに、水没から避難するために。
文明をつくって、バベルの塔を建てたのは古代日本人で、そこにイスラエルの12部族(氏族)がつながっていく。
12部族は迫害を受けたので、戦いを好まない人たちは日本に逃げてきた。
エジプトのお后に生ませた子どもがイスラエルの12部族。
シュメールのお后に生ませた子どもの子孫が「イエス・キリスト」で父親は同じ。日本人。
ヤコブの子どもは「ヨサク」→「イサク」とつながって行く。
(アブラハムの子どもが「イサク」→「ヤコブ」か、イサクの子どもが「ヤコブ」→「ヨセフ」の勘違いかもしれません)
「ソロモン」はエジプトのファラオ王の遺跡を守っていた。
図表:聖書と歴史の学習館
ヤコブの12人の子(数字は出生順)
◆ レアの子 1ルベン 2シメオン 3レビ 4ユダ 9イッサカル 10ゼブルン
◆ ラケルの子 11ヨセフ 12ベニヤミン
◆ ビルハの子 5ダン 6ナフタリ
◆ ジルバの子 7ガド 8アシェル
どなたも一笑に付されることでしょう。
たいていの方、信仰のお強い方が理解、肯定できる史実には程遠いファンタジーかもしれません。
このような検証しがたい古代の歴史の真実。
天皇の血筋の方々には、ご先祖さまからヒントになるようなインスピレーションが送られてきている可能性は高いと思われます。
それは一見「トンデモ」や「ギャグ」にしか思えないのですが、「事実は小説より奇なり」。
事実がねつ造されすぎているせいで、そう感じられるようになっているのかもしれません。
蛍の光がながれかけている日本ですが💦未知の古代世界に日本の「宝」が埋まっていそうです。
その「トンデモ」ヒストリーがあるゆえ、日本の歴史が受難めいてきた( ノД`)..........のかも!?と考えますと、あり得ると思うのです。
しかも何千年!?何万年!?超シークレットにされてきていますょね💦
イエスキリストが誕生する紀元前からの、超古代から.........。
実際のところどーなんでしょうか!?
神武天皇の御代が紀元前711年からですので(古事記では450年?)神武天皇の父が帰国したのか!? 神武天皇なのかは確認できませんが。
紀元前722年に、アッシリア捕囚後にイスラエル10部族の子孫は消息を絶ち世界各地に散らばったとされます。
この帆船でインド洋をわたり釧路へやって来た3000人が、イスラエル10部族の子孫で、BC450年に神武天皇or父?が連れてきたという可能性を否定する理由も見つかりません。
(タルソソ港は絵画に描かれているとのこと)
前ブログで、紀元前(BC)722年アッシリアによる占領後、ユダヤ教と異教との混合がなされたため、エルサレムのユダヤ人は「サマリア」の住民を差別視したそうです。
と綴っています。
サマリアには祭祀をする「レビ族」の末裔がいまでも存在しています(DNAも日本のD系統と親戚の「E系統」)。
サマリアの住人が差別視されるようになった「ユダヤ教と異教との混合」の異教とは「神道」ではないか?と推測します。
そして、そのサマリアの王がヘブライ語で神日本磐余彦天皇(かむやまといわれひこのすめらみこと)=神武天皇であったのではないか!?と。
👆
事実だとしますと、迫害を受ける十分な理由になるのかもしれません。
北イスラエル王国を統治していたのがサマリアの王=日本人、天皇であったとして、その子孫がイスラエル12部族ならば。「神の子」であるからです。「天皇」=「神」の子孫という概念ではなく天皇は「祭祀」と捉えるという解釈などがあるようですが。
天皇を「現人神」とし、日本は「神国」というプロパガンダに戦前、利用されたようでもあります。
12部族は迫害を受けたので、戦いを好まない人たちは日本に逃げてきた。
捕囚とならなかった旧北王国の住民= 虜囚となった指導者層を除く10部族の住民。
ルベン族、シメオン族、ダン族、ナフタリ族、ガド族、アシェル族、イッサカル族、ゼブルン族、マナセ族、エフライム族
(旧約聖書に記されたイスラエルの12部族のうち、行方が知られていない10部族)
このイスラエルの12部族は「聖書」のなかでは神に選ばれた「選民」として描写されており、解釈も様々あるようです。
「私たちが神のしもべたちの額に印を押してしまうまで、地にも海にも木にも害を与えてはいけない。
それから私(ヨハネ)が、印を押された人々の数を聞くと、イスラエルの子孫のあらゆる部族の者が印を押されていて、144000人であった。:ヨハネの黙示録 第7章3~4節」
この144000人は、イスラエル12部族の各部族から12000人ずつとされます。
(12部族の「ダン」の名前はない。「ダン族」から「反キリスト」が現れてくるからか!?「 偶像崇拝」と不品行をしていたことからか!?)
「144000」という数に関しましても諸説ありますようで、「666」(不安やサタンを表す)とは「正反対」の意味を表す数とも言われます。
「聖書の文脈で、144000人は悪の勢力に対する、霊的軍隊を象徴する数字」=「キリストの軍隊」という説もあります。
イスラエルの「歴史」に出てくるアッシリア、スバル人、シュメール人、ウバイド文化、サマリア人、モーセについて
イスラエルの「歴史」にもどります_(._.)_
捕囚とならなかった旧北王国の住民は、統制を失って他の周辺諸民族の中に埋没し、次第に10部族としてのアイデンティティを失ったといわれ、周辺の異民族や、アッシリアによって他地域から逆に旧北王国に強制移住させられてきた異民族と通婚し混血することもあった。
サマリアにはゲリジム山を中心に、後世に独自に発達したユダヤ教と一部の祭祀を同じくする古来の信仰が残存し、サマリア人としてユダヤ人と異なる文化とアイデンティティーを保ち続け、現在に至っている。
古くから文化が開けていたことで知られる。最古は遊牧や農業によるスバル人社会がありシュメール人と交渉をもっていたともいわれる。
BC 3000年にアッシリア人がこの地を奪い都市国家を建設,盛衰を繰り返した。
BC 2350年頃 アッカド王朝のサルゴンに続いてグティ (グティウム) 王朝、ウル第3王朝 (前 2130~2021) 、バビロン第1王朝 (前 1900頃~1600頃) の支配下に置かれた。
スバル人
〈シュメール王名表〉と呼ばれる伝承においても、〈洪水後〉約紀元前2400年ころ、最初に覇権を確立した王朝とされており、セム人の、この時期における軍国的都市国家時代の形成に演じた役割は無視できない。
シュメール人
紀元前3000年頃、メソポタミア南部に都市国家を建て、楔形くさびがた文字・法典などを作った民族。スメル。
メソポタミアの原住民ではなく、おそらくBC 3500年前後に来住したと考えられる。
シュメール文明を先行する「ウバイド文化」がシュメール人に属するかは不明。
ウバイド文化
ウバイド文化(紀元前6500年ごろ - 紀元前3500年ごろ)はメソポタミアに誕生した先史文化。
イラク南部ジーカール県のウル遺跡の西6キロメートルにあるテル・アル=ウバイド(alという遺丘(テル)で発見された、新石器時代から銅器時代の遺跡が、この文化を代表。
この文化はメソポタミア南部の沖積平野での最古の文化で、紀元前6500年ごろからメソポタミアに広がり始め、紀元前4000年ごろから始まるウルク文化へと引き継がれた。灌漑農業の導入による農業の飛躍的発展、車輪の導入、銅器時代などがウバイド期に始まっている。
サマリア人は、サルゴン2世(アッシリア王の一人)のサマリア占領によってイスラエル民族がすべてアッシリアへ放逐されたという『列王紀下』の記事 (17・23) を否定し、みずから「イスラエル人の子孫」であることを主張。
また彼らだけが聖書としてトーラー (モーセ五書 ) の完全な校合を有するとし、その宗教はモーセの真の教えを代表していることを強く主張、みずからを Shomeronim (サマリアの民) といわず Shamerim (「真の律法」を守る者) と称する。
........................
サマリア人とユダヤ人は相似た歴史的運命をもちながら、サマリア陥落 以前からお互いに常に敵対関係にあり、ヨハンネス・ヒルカノスによるゲリジム山のサマリア人の神殿破壊 で、その極に達した。
サマリア人の信仰は
(1)神が唯一の神であること
(3)「モーセ五書」だけが唯一不変の啓示であること
(4)ゲリジム山が唯一の聖所であること
(5)天地創造から 6000年後、ゲリジム山の神殿とサマリア人の繁栄を回復するタヘブ (回復者) が現れて新しい統治を始めること、の5つに要約される。
竹内文書から抜粋.........。
ヨモツ国、アラビア、アカバ、シナイ山より、五色人政治王モオセロミュラス第二回目、大海原船に乗り、能登の宝達水門に安着した。
その後、モーゼは五色人の祖神を祀る皇祖皇太神宮に参拝し、天皇に十戒石などを捧げた。皇室から大室姫を妻に娶り、日本12年間滞在。天皇から十戒の承認をえて、天空浮船でイタリアのボローニャ経由でシナイ山にもどり、十戒を広めた。
その後モーゼは再び来日、583歳で亡くなり宝達山近くの三ツ塚に葬られた。
バビロン捕囚からの帰還の時期に活躍した「ユダ族」の総督ゼルバベルと「レビ族」の大祭司ヨシュア
紀元前586年に 南王国のユダは、セム語系民族の新バビロニア(首都バビロン)に滅ぼされた。
指導者層はバビロンなどへ連行され虜囚となった。(バビロン捕囚)新バビロニア王ネブカドネザル2世
捕囚は、紀元前597年、587年、582年or581年の計3回行われたとされる。
紀元前537年の初めころ、イラン語系民族の「アケメネス朝ペルシャ」の初代の王キュロス2世は捕囚者がエルサレムに帰還し、エルサレムで神殿を再建することを許す布告を出した。
「総督ゼルバベル」と「大祭司ヨシュア」に導かれた。
4万2,360人の「流刑囚の子ら」に加えて、7,537人の奴隷や歌うたいたちが約4か月の旅をした。その人数が婦女子を含めて約20万人に達したことを示唆している。彼らは秋の第7の月までに自分たちの都市に定住した。
総督ゼルバベル
『旧約聖書』の人物。名前の意味は「バビロンの種」であると言われている。
ユダ王国の第19代の王の子どもの子孫。
(ユダ王国の最後は第20代の王「ゼデキヤ」。亡くなった兄エホヤキムの子エホヤキンが即位即位後3ヶ月でネブカデネザルに捕らえられる)
ダビデ王家の直系の子孫であり、バビロン捕囚からの帰還の時期に活躍したユダヤ人の指導者である。
42360人の指導者として登場し、彼は行政の指導者監督になる。
紀元前586年にバビロニア王「ネブカドネザル2世」にエルサレム神殿が破壊される。「ユダ王国」は滅亡。
エルサレムで神殿再建中断、16年後に再開し4年の歳月を経て紀元前515年「第2神殿」として再建された。
BC1世紀末、「ヘロデ王」によって大改築された。
AD70年、ローマ軍に破壊されたが、「嘆きの壁」が唯一の遺構となっている。
◆ 聖遺物の一部は第一神殿の破壊の後失われ、第二神殿破壊で欠如した物品のなかには「契約の箱(モーセの十戒の書かれた石版、マナの壷、アロンの杖を含む)」が含まれる。
「本物神興」=「日本にあるモーセの契約の箱」を令和天皇に発表させないため、「抵抗勢力」が必死で邪魔している。との説があります。
大祭司ヨシュア
(紀元前515年 - 紀元前490年)は、旧約聖書に登場する、エルサレム神殿再建の時の大祭司である。ユダの総督ゼルバベルと共に神殿再建を指導した。
大祭司
ユダヤ教の祭司階級の首長である。
祭司階級は、「大祭司」、「祭司」、「レビ人」の3階級に分かれて、ほぼすべてが「レビ族の子孫」であり、大祭司もアロンの子エルアザル(エレアザル)の家系の者で、その最年長者が世襲で継承することになっていた。
「ペルシャザールの饗宴」で、治世の終焉示唆がなされた 新バビロニアの王の子「ネブカドネザル2世」。イエスの成長を恐れた「ヘロデ王」
「ネブカドネザル2世」
新バビロニアの王。ネブカドネザル2世(在位,前604‐前562)正しくはナブー・クドゥリ・ウスル)は、各地に遠征し反抗する都市は、例えばバビロン捕囚のような形で徹底的に抑圧し、また大規模な首都再建を実行した。
父王ナボポラッサルの晩年には皇太子としてバビロン軍を率い、たびたび遠征に出た。
父王の後を継いで王となった後も、メディアとの同盟関係のおかげで東方の守りを心配することなくほぼ毎年シリア、パレスティナ方面に遠征を重ねた。
その主たる目的はバビロン軍の力の示威と朝貢国からの貢物の取立てであった。
【ペルシャザールの饗宴】
新バビロニア王の子ペルシャザールは、エルサレムの神殿(ソロモン神殿)を破壊し略奪してきた金銀の器を使用し豪勢な酒宴を開いていた。
突然人間の手があらわれ壁に「謎の文字」を書き残した。この文字は、多くの賢者が挑戦したが読み解けず、預言者のダニエルを召喚した。(キリスト教では預言者。ユダヤ教では預言者とはみなされない)
その文字は「メネ、メネ、テケル、ウパルシン」。
メネは「神があなたの治世を数えて、これをその終りに至らせた」。
テケルは「あなたがはかりで量られて、その量の足りないことがあらわれたこと」。
ペレスは「あなたの国が分かたれて、メデアとペルシャの人々に与えられること」と教えた。
その夜、ベルシャザルは殺され、ダリヨスが王となった。
「神は父王ネブカドネザルに権勢と栄光を与えた。しかし、彼は尊大、横暴に振る舞い思うがままに人を殺したので王位を追われ栄光は失われた。父王は野獣の如き有様となり雨に身を濡らし、ようやくこの世を統べるのは神である事を知った。ベルシャザル王、あなたはこれを知りながらなお神に従おうとしなかった。祭具で酒を飲み、石や木で作られた神々を讃えた。だから神はあの手を遣わして文字を書かせたのである。」
● 現代の「CERN」にて 「謎の文字」が現れ、エリートらが「我が世の春」の終焉を悟ったというエピソードがありましたが...........なかなか終わりませんねぇw💦
ユダヤ王(在位前37年―前4年)。
〈大王〉と通称される。ローマの有力者によって王に任ぜられ、エルサレムを奪還、専制政治を行い、エルサレム神殿を大改修し、多くの都市を建設した。
猜疑心から妃と実子3人を死刑に処した。イエス・キリストの成長を恐れてベツレヘムの嬰児(えいじ)を殺害したと伝えられる。
生涯、「ローマ」の忠実な属王として「全パレスティナ」の支配を委託されたが、「恐怖政治」によって異邦人の支配に反抗するユダヤ人を弾圧したため、ユダヤ人からは激しく憎悪された。
しかし、冷酷で巧妙な支配によって民衆の反乱を防ぎ、大祭司を自由に任免して、ユダヤ人共同体の中心であったエルサレム神殿の運営を掌握した。
「天皇の命」のもと中東を治めていたのはユダ族のユダヤ人!?伊勢神宮は「ユダ族の宮」!?イエスと南部せんべい.......
紀元前450年にイスラエルの10部族がイスラエルを離れたことや神武天皇の記述は当然ですが見当たりませんw
10部族(12部族)がアッシリアやバビロニアに弾圧されたり捕らえられたり迫害されてきた歴史であったことは分かります。
その背景に、もしや元となるかもしれない「日本人」が当然ながらまったく登場しないイスラエルの「歴史」「聖書」ですが、神武天皇or父が、がどこかで関与していたとするならば..........
【42360人の「流刑囚の子ら」など約20万人と約4か月の旅をした。行政の指導者監督になった】
というエピソードと年代が近いと思われます。
そのユダヤ人指導者は、ダビデ王家の直系の子孫であり、ユダ王国の第19代の王の子どもの子孫「総督ゼルバベル」という人物になりますが。
南ユダ王国のユダ族系統ということになります。
そして「ヤコブ」と称される人物に該当するのは.........!?どなたなのでしょう!?
ここまでの流れですと歴代天皇のどなたか!?なんでしょう。
一説によりますと、「天皇の命」のもと中東を治めていたのは「ユダヤ人」であるとのことです。
いつの年代の天皇かはわかりませんが、紋章も同じ獅子の「ユダ族」の系統が天皇の子孫の可能性は高いように思えます。
伊勢神宮は「ユダ族の宮」とされ「イエス」が祀られているとも言われます。
モーセもイエスも日本に来て古い古事記を学んでいるとの事です。
神武天皇ご子孫の女性によりますと、垂仁天皇の時代にイエスが来て5年間学習し「サンタクロス王」という資格を取り、シベリア経由で冬のトナカイの🛷ソリに乗り帰って行った...........そうでありますょ。
食糧を入れる袋の中には「南部せんべい」が入っていたそうでwイエスの墓があるのも「青森」なんであり得る話かもしれません。
あちらの宗教にしてみますと、蘇ったり昇天なさった「奇跡」の方ですので「人間」であってはならないはずなんですけれどね。
北海道の茅部の辺りで混血しているとするならば、その地域や東北辺りの方にう〜〜〜ッすらくらいはその血が出るのかもしれませんが、もう2千数百年も前のですからね。
いまの日本人にはそういう事情でシュメールの血が入っており、その歴史以前は純粋に「カラマヤ族」の血統だったそうです。
と言いましても、世間的にシュメールのイメージは「人間」ではないんですょねw💦
ほとんどの日本人に入っていると言われる「秦氏」系統の血統ですが、東と西では入って来たルートも渡来人の人種も違うのではないですかね!?
アイヌ人の研究で頭蓋骨だったでしょうか!? 「白人」と同じ特徴が出ているとの事でしたのでフシギに思っていましたが、古い時代に混血した人もおられたのかもしれません。
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このような日本絡みのヒストリーが事実であるならば、あるからこそ.........12部族がアッシリアやバビロニアに捕囚として連行されたり迫害を受ける運命だったのかとも思えてきます。
中東における戦乱、迫害の歴史と日本から初まるNWOに警戒!!
当時からの中東における民族間の混乱、戦乱の歴史が、現代まで同じように続いてきたのはモノ悲しいことです。
現在「聖書」の最終章のほうの時を迎え(てますょね!?💦)、現実として「イスラエルの大親分」が起訴されました。
ようやく中東と世界に「平安」が訪れ数千年ぶりに歴史が変わるのでしょうか.........と望みたいところですが、グノーシス派が気にかかります。
黙示録
患難時代の終わりに、"ハルマゲドンの戦い"というものが起きます。
それは世界最終の決戦ですが、よく言われる人間同士の核戦争による絶滅の戦い"とは違います。
ハルマゲドンの戦いは、"メギドの丘"という意味でイスラエル北部の地です。
それはキリストと、地上の悪の勢力との決戦なのです。そこに、「獣」(終末の時代の独裁者)と彼に同調する連合軍が集結します。
「こうして彼らは、ヘブル語でハルマゲドンと呼ばれる所に、王たちを集めた」(黙示一六・一六)。「私(ヨハネ)は、獣と地上の王たちとその軍勢が集まり、馬に乗った方(キリスト)とその軍勢(144000人=大群衆)と、戦いを交えるのを見た」(黙示一九・一九)。
ハルマゲドンに悪の勢力が集結しますが、キリストは彼らの上に来臨して、彼らを滅ぼされるのです。「144000人=大群衆」は、真っ白な清い麻布を着て、白い馬に乗って彼(キリスト)に従った」(黙示一九・一四)。
キリストは、ハルマゲドンの戦いに勝利し、地上の悪の勢力を一掃されます。
あちらの方々が「3大宗教」をつくり利用し、人々を支配してきたとも言われます。
ボロボロにほころびが出てきた現在、どのように導いていかれるのでしょうか!?
腐敗しまくった米国社会を改革していくのは必需でしょうが、グノーシス派の人々は(どんな方たちか知りませんがw)、結局のところNWOの人たちではないか!?と思われます。
マイナンバーでせっつかれている「日本」の現状が今あることからしますと、「日本」発のNWOを樹立したい勢力が、覚醒も促しましたが、ミスリードしてきた可能性も窺われます。
彼らは純粋な「日本人」を雇っていないと思われます。
グノーシス派の策略は、日本や天皇を利用し世界政府樹立に向かっている可能性が高いように窺えます。
世界と「日本」は分けて考えたほうがいいのかもしれません。
スピリチュアルな罠をかけてきたのもグノーシスに雇われたゴーストライターだった可能性があります。
日本はホントの日本のスピリチュアルに目醒めないと.......です💦
おそらく、何度もこのような、またこの先の過程で文明が崩壊する憂き目に遭うことを繰り返しているのではないでしょうか!?
自然の地球環境の摂理ともされますし、神の意思とも言われます。
今回が最後だと言われますが........。
人類が覚醒する時代に入り........それで終わりというのはあちらがそうしたいだけだと思われます。
日本発のNWOを阻止することで、世界は平安に向かうはずです。
神武天皇が帆船 に乗船した可能性は?
「百斛船を多に作らせ ワタの浦に繋ぎて、頓 、国廻べまさに」
(船を多く作らせ、ワタの浦に繋いで、急いで全国を巡幸しなければ) :『ウエツフミ』
当時(年代?)の日本全土を天変地異が襲い、大飢饉発生。
神武天皇の父(第71代ウガヤフキアエズの命)がご神託を受け、木の根や山菜を食糧にするノウハウを全国に教えて廻ることに。そのため急いで船を多く造る必要があった。
神武天皇が橿原の宮に落ち着いたので、科学技術を伝授して、その発展を支援することにあった。
神武天皇の功績を称賛したあと、「大型船を建造して外国との貿易を盛んにすること」を提案。
二ギハヤヒが伝授した「百手船(ももてふね)」
◆ 水力推進プロペラ船の建造技術
水力で水車を回す船の建造を提案。人力と帆を組み合わせて、一漕ぎすれば百里走る船。
海水を取水しながらターボを回す船(ウォータージェット推進)。
◆ 水源があるかどうか調べる方法
田んぼに特殊な布を設置して、水が足りているかどうかを試験する方法を伝えている。
◆ たき火による揚水技術
水の少ない地域では、深く掘った井戸の上でたき火をして、水を吸い上げる方法を提案。
これらの科学技術を伝授した二ギハヤヒは、『物部文書』にて「饒速日命(二ギハヤヒ)は畿内だけではなく自ら平定した東国をも神武天皇に献上した」とあります。
ほかにも天つ神を祀る儀式を伝え、禁厭(きんえん=まじないで病気や災害を防ぐこと)の術と医道を授けたそうです。
日本各地に「二ギハヤヒ伝説」があるようですが、最初に「東北」の地に降臨したという説があります。
「東北」を先に平定した後、「ヤマト」を平定したのではないか!?と。
神武天皇は九州の日向国(宮崎県)を拠点に周囲を統治していました。
45歳のとき、高千穂宮に王子や兄弟をあつめ、「東征」を宣言されたと言われます。
「天孫降臨以来、179万2470餘歲が経つも、未だに西辺のみで全土を統治できていない。
東の土地は美しく、青々とした山に囲まれ、天から饒速日命が下っていると聞く。
六合の中なれば大業を広げ、天下統治にふさわしい土地だろう。よって、この地を都とすべし」
磐余:現在の奈良県桜井市中部から橿原市の東南部にかけてのエリア。
後々に大和朝廷が誕生したと言われる地であり、神武天皇の即位地だとも言われています。
神武天皇のご子孫というその女性によりますと、「神武は奈良に入っていない」との事です。ご想像を.........💦 歴史に登場しない地域が「真の舞台」であった可能性があります。
歴史の年号を暗記させられる学習だったのも、あまり詳しく深堀すると矛盾が出てきたり前後がつながらなくなるから!?💦とも言われます。
「 二ギハヤヒ」は「天の鳥船」に乗り天から降臨なさり、人間業とは思えない神出鬼没をし、神武天皇に「科学技術」や「医道」等を伝授されております。天から参られた「神様」「宇宙人」と捉えればよいのでしょうか^^;
(神々もまだ「波動」から人間に変わる頃のことで、波動なので身も心も軽かった!?)
神様そのものがスメラノミコトであり、そのご子孫であるので天皇家がスメラノミコトと称されたのでしょうか!? 天照大御神さまがご先祖ですものね^^;
神様がそのまま天皇になられたのでしょうか?
なかなか、理解が難しいです^^;
(ちなみに記紀による天孫降臨神話は「古事記」が国内向け(天つ神=大和朝廷=天皇家を正当化するもので、「日本書紀」は漢文で書かれていることから海外向けに日本の成り立ちを紹介するものとの事)
物部氏のご先祖がニギハヤヒということは、スメラノミコトが物部氏などの豪族を統べていた時代にはまだ日本に「神威」が存在していたのでしょうか!?
中国から入って来た仏教の「仏像崇拝」をめぐり、物部氏と蘇我氏との争いが起きたのは古墳時代とされます。
物部氏が滅び、朝廷の有力者は神武天皇と共に来た日向一族(蘇我氏、藤原氏)が占めることとなったそうです。
日本に神の威光が届きにくくなったのも、こうした時代背景があり意外と重要なことなのかもしれません。
確かにお仏壇があり仏像を置いていますね^^;💦
日本では常識のようになっていましたので、疑問に思ったこともありませんでしたw💦
「帆船」は存在していたことでしょうね。
外国との貿易の提案があったわけですので、乗船し国内を東征したどころか、外国まで行かれた可能性もあるのでは!?
田んぼに特殊な布を設置して、水が足りているかどうかを試験する方法を伝えている。 という具体策からは「お米」も当時から作られ頂いていたのでしょう。
「古事記」や「日本書紀」には登場せず、偽書とされる「竹内文書」に登場する「天の浮船」。
神武天皇の御代までは世界巡行の旅に出ていたとしますと、UFOみたいな天の浮船も存在し、それとは別に「帆船」の造船技術を承り、外国へ航海していたのかもしれません。
いまの時代で現実的に考えましたら、「帆船」しか考えられませんけれど(笑)
大天変地異により、不合朝(フキアエズ)時代73代神武天皇の御代に古代テクノロジーが失われてしまった可能性
上古時代から現代まで、地球が滅びるほどの天変地異が何度もありましたが、「不合朝(フキアエズ)時代」の終わり頃、大天変地異が起き古代のテクノロジーは完全に失われ、日本も壊滅、世界がバラバラになり世界の統一も失われたそうです。
日本が世界を統治していたのも不合朝(フキアエズ)73代の時代までと言われます。
その後から始まる神倭朝(カンヤマトチョウ)時代と不合朝時代を歴任していたのが神武天皇です。
この頃には「天の浮船」も失われたのか、世界巡行できなくなったのでしょう。
世界統治の終わりは、大天変地異が原因だったのかもしれません。
もしかしましたら、古代のテクノロジーが失われた時代とは、ムー大陸が沈んでしまっ頃と重なる可能性もあるのかもしれません。
..............と思いましたが、年代がゼンゼン合いませんね(笑)神武天皇の御代が約2800年前だとしますとw
諸説ありますが、12000年前、8000年前、4000年前頃に地球規模の災害があったとされますので、文明復興(テクノロジー復活)しては大地震や洪水を繰り返してきているのかもしれません。
3500年前の洪水でモーセが来日したとされますので、この時代のことかもしれません。...........昔の人の寿命は数百年とも言われますので。
モーセは583歳で永眠したとされます。
神武天皇の時代に災害が起きリセット。神倭朝の時代=日本建国となったのかもしれません。
ということにしておきます_(._.)_w
古代テクノロジーを駆使していたのはムー文明で、アトランティス大陸は「アトランティス島」でムーの植民地だったという説もあります。
『竹内文書』には、第69代ウガヤフキアエズ天皇の治世に、大地震が発生して、ムー大陸の「ミヨイ」と「タミアラ」が海中に沈んだ。という記述があり、『ウエツフミ』にも、第71代ウガヤフキアエズ天皇の治世に、大地震が発生して、島が崩れた。と。
第73代のウガヤフキアエズ時代最後の天皇が「神武天皇」ですので、その2代前にも大地震が発生したのか!? さらにその2代前の天皇の時代に「ムー大陸」が太平洋に没したのか!?
12000年前にムーなのかアトランティスなのかが没したとするならば、古代の天皇4人の治世で約1万年くらい!?になるということでしょうか!?
現在では考えられませんが、古代はご長寿だったんですものね^^;
失われたムー大陸!?跡に遺る 「天皇海山群」
天皇海山群
海山の一つ一つに日本の天皇(主に古代)の名前が付けられ、海山群を総称して天皇海山群と付けられた。なお、天皇の即位順と海山の並び順は無関係である。また、すべての海山に歴代天皇の名前がついているわけではない。
桓武海山(約4300万年前)欽明海山(約4300万年前)大覚寺海山(約4200万年前)雄略海山(約4300万年前)欽明海山(約4400万年前)光孝海山(約4800万年前)応神海山(約5500万年前)神功海山(約5500万年前)仁徳海山(約5600万年前)用明海山(約5800万年前)推古海山(約6500万年前)デトロイト海山(約8100万年前)明治海山(約8500万年前)
BC10650年に、日本のミカド(天皇)が四国からペルシャ湾に向かい上陸。
瀬戸内海ができたときに、水没から避難するために。
氷河時代から暖かくなり気候がほぼ現在と同じになる12000年前から溶けた海水で海進が起こり瀬戸内海の海水面が上昇してきます。6000年前には現在とほぼ同じような瀬戸内海が形成されたといわれています。
海進による瀬戸内海の水没から避難するため、ミカドが四国を出てペルシャ湾に向かったとされるBC10650年と、古代あったとされる大陸が海中に没した時代は、ほぼ重なるのではないでしょうか!?
ペルシャ湾:アラビア半島とイランに囲まれた湾。ホルムズ海峡を経てインド洋に通じる公海。
瀬戸内海の海進の水没から避難した天皇が向かった先はペルシャ湾。「シュメール文明]とは!?
シュメール
メソポタミア(現在のイラク・クウェート)南部を占めるバビロニアの南半分の地域。
またはそこに興った最古の都市文明。
初期のチグリス川とユーフラテス川の間に栄えた。
シュメールの言語、文化、また、おそらくは外見も周囲のセム系の民族とは異なっていた。しかしシュメールの男子像を見る限り、大きく彫りの深い目、高い鼻、巻き毛で髭が多いなどセム系と変わりないような容貌をした像もあり、民族系統は未だ謎である。
アッカド王朝以前の遺跡に見られるシュメール人の容貌は剃髪した彫りの浅い髭のない傾向が多く見られ、アッカド人とは書き分けられているようである。
創世記では洪水後シナル(シュメール地方)に住み着いたのは「東からやってきた人々」とされており、言語的また容貌的観点からモンゴロイドである可能性もある。
シュメール人は広範に征服民か移住民であると信じられている。
しかしそのような移住がいつ行われたのか、またシュメール人の地理的な起源がどこなのかを正確に決定することは難しい。一部の考古学者はシュメール人が実際にはメソポタミア平原に出自を持つとの観点にいたっている。:Wikipedia
「日ユ同祖論」「失われた10部族」と「徐福伝説」への懐疑
天皇家がペルシャ湾に上陸し、シュメール→エジプト→イスラエルの順に文化を興していった可能性があります。
ペルシャ人、エジプト人、イスラエル人の画像検索しますとオリエンタルなお顔の「人」が出てきますが、シュメール人だけは「人間」ではないようですねw💦
シュメールや古代バビロニアには、日像鏡、月像の首かざり、武神のシンボルである剣という三種の神器がありましたが、日本の三種の神器と同じです。
日本の天皇家に伝わる三種の神器は、鏡、勾玉(三日月?)、剣であります。
さらに一致を見るのは、日本神話では8つの首を持つヤマタノオロチを退治したときに得た草薙の剣であるのに対し、シュメールでも7つの首を持つ竜を退治したときに、三種の神器の剣を得ている.........
出典:山崎淑子の「生き抜く」ジャーナル!
世界各地に、文字やら土器やら日本の文化の形跡が遺されているのですから、日本とユダヤだけが「同祖」というのは正確には違うのではないでしょうか!?
その上で、事実を伏せ日本に寄せてきているのはナゼなのでしょうか.....!?
あちらは、アークの箱を開けられるのはレビ族だけで、探していったら日本の東北にいると突き止めたらしい上.......福島はイスラエルにより...........あのようになりました。_(._.)_
因果関係がそこにあるということを指しているのではありません_(._.)_
日本側が日本の古来のことを何も知らない状況で、歴史背景により謂れのないことをされて来ていたのではないか!?という危惧が生じるのです。
アークが日本の伊勢にあるのなら、あちらには無いでしょうし鍵を開けられるレビ人も必要ないはずです。
「イスラエルの遺跡」があることになっている「淡路島」も、あの大富豪のお方が絡んでいます。出口王仁三郎も絡んでいました。
きな臭ささしか感じられないのですがwww(-_-;)
徐福伝説
終わりになりますが................
このイスラエルから3000人やってきたという説と似たストーリーがもう一つあります。
中国の泰始皇帝の命を受けた「徐福」が良家の童男童女3000人を引きつれ、不老長寿の薬を求めて日本に渡来し、そのまま移住したという「徐福伝説」と言われるものです。(日本にいる美男美女は徐福が連れてきたという伝説もありますw)
秦の始皇帝から逃れた徐福は3000人の童男童女を連れて、日本に向かった。
生殖能力を重視したのだから、新たな国造りを意図した事がみてとれる。
船の数だけでもたいそうな数だ。
徐福の子孫とされる大陸系、ユダヤ系?側の歴史認識と日本の間にはギャップがあるように見受けられます。
中国側では、日本で農耕・捕鯨などの技術を伝えたり、「神武天皇」となったという説や、安楽な土地に移民したという説などがあるようです。
(中国に技術を教えてもらった日本!? 神武天皇が中国人!?........... 「おらが国一番✨」で盛ったどころか捏造されていませんかw!?)
日本側では「古事記」や「六国史」には、「徐福の一団」と見られる渡来人の船団が上陸し、先住民の縄文人と邁進したという記録がどこにもないのだそうです。
1982年に中国・江蘇省で「徐福村」が発見されたことにより、実在説が急浮上し渡来した可能性は高いとの事です。
(かなり最近になってから「徐福村」発見されたんですね(;'∀'))
「 イスラエルの一団」が日本に上陸した記述も見当たりませんので、本当のところどうなのでしょうかね!?
徐福の一団が上陸した伝説よりは信憑性は高いといったところなのでしょうか!?
いづれにしましても、「日本」や「天皇」を利用した企てに乗ってしまって困るのは国民ですからね。
諸外国の勢力にこれ以上振り回されないように、日本DNAは強くならないといけないと思われます。
お読みになってくださった方ありがとうございます (゚д゚)ノ