- モーセの契約の箱こと失われたアークを守るために施された仕掛けと四国剣山の封印
- 四国剣山のある徳島県だけ「電車」が走っていない理由
- 南極に輸送されたキケンな『ガブリエルの箱舟』と地上での不審な動き
- 原日本人の末裔(蝦夷)を征討したのは弥生人!? シュメールからのスメル族!? 大和朝廷!?
- 東北「鳥海山」に天孫降臨した ニギハヤヒと、渡来人により建国後から歴史を守らなければならなかった日本
- ソロモンの神殿こと伊勢神宮を建設された秦氏について
※ 万人向けの一般的ではない内容も含まれております事をあらかじめお断りしておきます🙇
モーセの契約の箱こと失われたアークを守るために施された仕掛けと四国剣山の封印
モーセの契約の箱は伊勢神宮に安置されているとされますが、大方の見方では四国の剣山に埋蔵されているとの事です。
GHQやイスラエルの国家機関アミシャーブも剣山に足を踏み入れています。
終戦後の米軍GHQによる発掘調査は異常なほどだったようで剣山の監視も行われていたそうです。
諸説ありますが、地震により剣山(鶴亀山)の頂上にある鶴と亀の像が滑り落ち(土砂崩れ)、その下からアークが出てくるという説もあります。これをユダヤ人に持ち帰らせてしまったら、世界の終わりが来ると.........。
良からぬ勢力に嗅ぎつけられ、日本は永い年月「アーク」を守るために壮大な仕掛け、封印を四国に施してきた模様です。
遣隋使、遣唐使(600年〜894年)が中国に派遣されていた頃、大和朝廷に「西方の人達がアークを探しに日本に来るらしい」という情報が入りました。
驚いた朝廷はアークを隠すことを決め、古事記を編纂し、大和朝廷が「四国に上陸した過去」を隠すことにしました。
大杉博氏(著書「古代ユダヤと日本建国の秘密」)によりますと、古事記が編纂される前は、大和朝廷の故郷は四国剣山周辺であったとされます。
(BC10650年に、瀬戸内海ができたときに、水没から避難するために日本のミカド(天皇)が四国からペルシャ湾に向かい上陸した説があります。里帰りし再び四国に上陸した過去では!?)
「九州」を中心に物語を作り、神武天皇が東征して「近畿地方」で大和朝廷をつくったとする物語にしました。
大和朝廷は古事記に基づき、九州から近畿地方に神社を建立し、西方の人達の関心が四国に向かない策略を展開しました。
国内には地方の古事、伝承とまったく関係のない神社が次々建立し、一時混乱したとされますが、この策略は成功し四国は忘れ去られていったそうです。
第52代嵯蛾天皇の時代、天皇は時の高僧「空海」に念には念を入れ四国全土を封印するように指示を出しました。
四国をほぼ一周するように88カ所に寺を建て、特に吉野川に沿って念入りに封印。
弥勒の世が来るように........「八八」で封印が解けるように、その時が来るまで「言霊」を封印された四国。
「8」は神に通じる力が一番強い数で、「8」を二つ並べることで、強烈な封印のはたらきをします。
高知、徳島、高松、松山を「コ、ト、タ、マ」と言い、四国は「言霊の国」とされます。
天才・空海は、後世の人達がいつかはこの封印が解けるよう幾つかの仕掛けを残したそうです。
モーセの十戒を収めた「失われたアーク」は地下深くに封印され、四国を巡る巡礼者たちが結界の役割を果たすことで剣山の霊力を抑え、2000年以上もの間地上に姿を現すのを妨げてきたそうなのです。
そして著書の大杉氏が1300年の時を経て、空海の仕掛けた謎を解き明かしました。
謎の一つ。
吉野川に沿って四番札所から十番札所のお寺の頭文字を順に記すと、「大、地、安、十、熊、法、切」という文字の序列となり、次のように解釈されます。
「大地(日本)が安住するように、熊(=吉野川)を法の力で仕切った(封印した)」
空海の著書「秘蔵法論」には、「顕薬は塵を払い、真言は扉を開く。秘法忽ち陳して、万徳即ち証す」。
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「真言密教により隠されたアークが発見され、万人が徳を得られるだろう」と解釈すると言われます。
一体どんなものなのでしょうか!? 古代の兵器で万人が徳を得られるとは思えませんw
金銭価値8000億円とされ、お宝ハンターたちも探したこともあったそうですが、米軍やイスラエルの国家機関が探していた以上、目的は金銭目当てではないはずです。
大和朝廷が上陸したのも四国阿波で、剣山を守ってきたのは、朝廷の祭祀を担当していた忌部氏系統の阿波忌部氏。
剣山の地下迷宮にアークを封印し、守ると同時に剣山にアークが隠されていることを暗示したとされます。
現在は三木家で、即位の礼で奉納されたとも言われます。
吉野川上流にある剣山で「神輿(イスラエルの契約の箱に似ている)」を頂上まで担ぐ奇祭があります。人民に敢えての示唆も与えますが、かえって注目を集めることになったのではないでしょうか!? 見掛けの仕掛けだったのかもしれません。
四国剣山のある徳島県だけ「電車」が走っていない理由
1950年8月26日、山本英輔という海軍大将が徳島・剣山でミイラ100体を発見したという記事が徳島日報で配信されましたが、徳島日報で当記事が配信された新聞ごと消されているといわれます。
ミイラもナゾですが...........
日本全国の中でただ一県、徳島県には電車が走っていないのだそうです。
JRも私鉄も電化されておらず、ディ―ゼル車「汽車」が運行。
開業時は「阿波電気軌道」という私鉄でしたが、その後社名変更を余儀なくされています。電化路線を開業できるような資金力のある私鉄がなかったという財政上の問題のようではありますが........。
オカルトチックな現実的な話があります。
明治政府以来つづく何らかの強い圧力により、戦前から電化の計画を消滅させられてきた歴史があると言われます。
その剣山には、戦前から終戦直後にかけての発掘調査で“地下都市”の存在が確認されていると云われます。
地球地下世界につながる入り口が世界中にあるとされますが、こちらもそうなのでしょうか!? 大和朝廷がこの近くにあったというのが気になります。
電気は磁場を変化させます。
剣山を取り巻くふたつの鉄道が電化されると、電車の走行が新たな電磁場を生むことで結界を壊し、二度とこの世に出てこられないように封印したはずのアークが、地上に出現するかもしれないとの事です。
GHQにより、明治政府がアークの出現を阻止するため「電化」をしていなかったという経緯のようですね。
国鉄がまだ大日本帝国の政府機関だった頃から、秘密裏にこの危険性が論じられ、そこで決定した方針は今でもJRに継続されていると言われます。
「アーク放電はアークにアーク影響を及ぼすから」という理由で、徳島県の鉄道路線には今でもディーゼル車しか走らせてはならないのであるそうです。
壮大に物騒な本気の事情がありますようで💦
どういうことなのでしょうかね!? 剣山を守って来た阿波忌部氏は、剣山の地下迷宮にアークを封印し、守ると同時に剣山にアークが隠されていることを暗示したとされます。空海も、後世の人にアークが発見される前提で封印しています。
「二度とこの世に出てこられない」ようには封印していません。
GHQの支配的な圧力で、明治政府が 剣山を取り巻くふたつの鉄道が電化されないようにした=アークの出現を阻止するため!?
アークの出現がまずいのは安全面の配慮からでしょうか!?
「この地球世界を牛耳る一族のなかには、アークが日本に存在しユダヤ教のルーツが日本神道にあるということを認めない勢力がおります。」
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インディジョーンズのアークが、まさかの「日本」にあったらそれは困ることでしょう(笑)💦 圧力をずっと掛けているわけです。
あの大富豪をはじめとした方々にしましたら、西洋の面目丸つぶれになり、「日本」が注目されてしまうことは力づくで阻止したいのです。
それにしましても「アーク放電はアークにアーク影響を及ぼすから」とは!?
アーク放電:気体放電のもっとも進展したもので、高温度の陰極から熱電子が放出されることで維持される種類の放電をいう。
アーク放電現象が価値あるアークを損なわせてしまうから!? アークのプラズマを増幅させ環境をキケンに曝すから.............!?
契約の箱とは古代のプラズマ兵器!? サウジアラビアで大惨事を起こし南極に輸送された『ガブリエルの箱舟』の様なものでしょうか!?
南極に輸送されたキケンな『ガブリエルの箱舟』と地上での不審な動き
強大な力が宿るという神聖な箱である聖櫃アークは、大天使ガブリエルがイスラム教創始者のムハンマドに託しました。
人類創造の前に天使が使っていた礼拝所に、世紀末、世界の終わり、来るべき日(復活の日)(←諸説あります)まで埋めておくよう頼んだものです。
ハラーム大聖堂の地中深くあった「神秘的な『箱』」を作業員が出そうとしたところ、地面に倒れた建設クレーンから発光した大規模プラズマが発生。
24日の再発掘でもプラズマが発生し、たくさんの人が亡くなりました。
ロシアは南極の地下にガブリエルのアーク(箱)を埋めました。しかしそのプロセスの中でも多くの人々が亡くなっています。
プラズマとは「雷」のような放電現象のようなことと写真で解ります。
この『ガブリエルの箱舟』は『モーセの契約の箱』とは違うとのことですのでご安心を^^;
ちなみに『ガブリエルの箱舟』につきましては、発掘から輸送後まで地上で不審な動きがみられています。
東の正教会のリーダーもフランシスコ法王とキューバで会談した直後に南極を訪れました。フランシスコ法王は彼に古代の秘密資料を手渡しています。
東の正教会のリーダーは、南極にある唯一の正教会の聖トリニティ教会で『ガブリエルのアーク』のために祈りをささげていたと言われています。
サウジアラビア、ハラーム大聖堂の集団死、ロシアの軍事作戦、南極の地下に存在する秘密基地などが並行して伝えられ、大天使ガブリエルは「エイリアン」ではないか!? とも言われます。
死者を多数出したキケンなアークですから、託した大天使ガブリエルはエイリアン!? 👿ルシファー!? とも囁かれます。
地上から隔離されて良かったアークなのかもしれません^^;
東の正教会のリーダーが南極に行ってまで祈りをささげていたというのが気になるところです。.........そちらの方々が何を拝んでいるのかはわかったものではありません。
米国大統領選前にも、バチカンの法王やケリー元国務長官などが南極へ行ってますね。
南極地下にいるとされるガ―ディアン!?にケリー元国務長官がヒラリーを大統領に.......と懇願し拒否されたとの話がありました。
米露など大国が南極のヒミツを握っており、そうそう真実を明かすはずはないですが、戦争好きな国の人たちは地下文明の人たちから嫌われているのではないか!? と想像します。
剣山に眠っているとされるモーセの契約の箱は、お遍路さんたちにより結界となり、四国の霊山を2000年以上封印してきました。
封印が解かれるその日もそう遠くはないとも囁かれます。
モーセの契約の箱とは伊勢に安置しているとされる「本物神輿」なのか、剣山で出現の日を待ちわびている「アーク」なのか........!?
その出現の仕方も想像しがたいですが...........。
「 アークが日本に存在し、ユダヤ教のルーツが日本神道にある」ことを証明するためにも、出現してもらわないと困ります。出現されたらあちらは困るのでしょうがw💦
来日したモーセは十戒を彫り込んだ「十戒石」を天皇に献上し、承認を待つ間の12年間「神道」の修行に励みました。その神道から生まれたユダヤ教ですからね💦
「十戒」には「表十戒」と「裏十戒」があるそうで、「裏十戒」には、「黄人(きびと)の王を殺してはいけない。この王を殺すと人類は滅びる。」と書かれてあるそうです。
原日本人の末裔(蝦夷)を征討したのは弥生人!? シュメールからのスメル族!? 大和朝廷!?
天皇家は契約の箱も四国に封印しましたが、四国に上陸した歴史も封印しました。
日本の根幹を為す『阿波風土記』なるものが現存していれば、イスラエル10部族上陸についても、もっと確かなことが判明していたことでしょう。
忌部氏や物部氏ら豪族とされる一族がイスラエルから里帰りした10部族だったのでしょうか...........!?
10部族の渡来にはナゾが多く、同祖となるような日本人と共通する性質をもっていた人たちなのかどうかも気になるところです。
同祖であれば、日本に来て縄文人を征討するでしょうか!?
ユダヤ族のスメル族(シュメール族)が、当時の原日本人を征服していったという説もあるのです。縄文人は九州ではクマソ、隼人、東北の方では蝦夷と呼ばれていました。
当時の日本にいた人々は一括りにしますと、沖縄やアイヌに見られる先住民の「縄文人」です。
神武天皇のご子孫によりますと、シュメール人の源は四国の縄文人と言いますし、迫害を受けていた12部族中、戦いを好まない人たちが日本に逃げてきたそうです。
東の「日出る国」を目指し向かった先日本で、その地の先住民を征服するのでしょうか!?
一方で、淡路島の「油谷ユダ二」は、イスラエル人が隠れ住んだ場所として納得の行く場であるとされますので、
「隠れ住む」ような状況に置かれての渡来であれば、現地の住民と諍いは生まれる可能性はあります。怪し気な渡来民ですね。
ところが現地の女性が美人が多いのも、イスラエルの民と混血したからと思わせる推測がなされています。
隠れ住みながらも、現地の人とどのようにコンタクトをとっていたのか想像しにくいです。(強引なコンタクト=征服!?)
ですので、ユダヤ族のスメル族が渡来していたとして、縄文人を征服していたのか!? 征服していた民族はホントにスメル族なのか!? ユダヤ人が日本に同化し混血していたのか!? などなど考えると矛盾が多くw疑問は解決されません。
「蝦夷」と呼ばれる人たちは.........
本州東部とそれ以北に居住し、政治的・文化的に、大和朝廷やその支配下に入った地域への帰属や同化を拒否していた集団とされます。
武内宿禰が北陸及び東方諸国を視察して「東の夷の中に、日高見国有り。
その国の人、男女並に椎結け身を文けて、人となり勇みこわし。是をすべて蝦夷という。また土地沃壌えて広し、撃ちて取りつべし」とし、大和朝廷に征討された歴史があります。
(※ 蝦夷の本国(岩手、宮城、津軽?)を「日高見国」と言い、同時に日本の別名を「大倭日高見国」と言った。「大和国」よりも東を指す語。
「夷」という漢字は、好戦的な民族として蔑んだ意味合いを込めている。本来は古代中国の山東省あたりの人々に対する呼び名であったが、秦氏以降は朝鮮、日本などに住む異民族を指すようになった。)
出典:高校生のためのおもしろ歴史教室
大和朝廷が日本人の朝廷だったのかも疑問ですが、元々、日本人ではない人達が日本の土地に流入し、日本の先住民および異民族を侮蔑し征討したとするなら............それはただの侵略者です。
日本人がお隣の国へ行き、その土地に住んでいる人を侮蔑し征討するでしょうか!? 考えてみれば異常なことです。
大和朝廷のプライドからなのか!? 武内宿禰が見て外見的にも「異民族」に見え脅威に感じたのか!?..........おそらく蝦夷とはアイヌ人に相当するような人たちを指したのかもしれません。アイヌは地球に降りた最初の「〇人」という世界史をひっくり返す情報を見ました。
大和朝廷を正当化するために、東北の古代の「歴史」が消されてしまっているのではないでしょうか!?
日本の古代に「東北ユダヤ」と呼ばれる歴史があったようです。その「ユダヤ」と関わりがある人々で今のところ挙げられているのはイエスや10部族渡来説につながるスファラディ系ユダヤ人です。レビ族の末裔が東北にいるとされていましたね。
東北にもいた蝦夷(縄文人の末裔)を征討したとされるユダヤ族のスメル族(シュメール族)はその人たちではなかったことでしょう。
では蝦夷を征討したスメル族とは、どのような人々を指し言われているのか想像が難しいのです。
東北の歴史も大和王朝、渡来人権力者らにより消されたかもしれませんが、東北だけではないですからね、消された街、歴史は..........。
東北「鳥海山」に天孫降臨した ニギハヤヒと、渡来人により建国後から歴史を守らなければならなかった日本
東北に天孫降臨した ニギハヤヒはスサノオの子孫ということになっています。
「天孫降臨」とは【神が天から舞い降りること】【A地点からB地点へ水平移動すること】
諸説ありますが、上記のことを意味しているのではないかと思われます。
大和朝廷成立以前に、ニギハヤヒは「天の鳥舟」に乗り「鳥海山(山形県と秋田県に跨がる活火山)」に天下りしました。
ニギハヤヒが天下ったのは、鳥海山の「湖の処」だった千樹五百樹がよく生い茂る実り豊かな美しい国。
天の鳥舟で移動し、東北の岩木山(青森)、十和利山(青森と秋田の境界)、早池峰山(岩手)、真昼岳(秋田と岩手の県境)、鳥海山(山形秋田に跨る)など至るところを拠点にしていました。
ニギハヤヒは天ッ神を祀る儀式を伝え禁厭の術と医道を授け、東国を平定した後、大和まで進みついには大和の国に住まわれました。東国とは関東のことです。
天孫降臨したニギハヤヒは日高見→大和→日高見......とグルグル廻り神出鬼没で活躍なされたそうです。
「大和」とは、朝廷が「大倭日高見国」を併合してからの古称。
その「大和」朝廷を成立、日本を建国した神武天皇の時代〜〜かなりざっくり振り返ります。
その前に古代は4つの時代を経ています(竹内文書)。
①天神(てんじん)時代
宇宙創成から天皇が地球に来るまで
②上古(じょうこ)時代
五色人の発生から天皇(スメラミコト)の世界統治まで ナスカの地上絵は天空浮船(アメノウキフネ)の飛行場 16人の王を統治
人の寿命は何百億年(時間間隔は現在と異なる)
③不合(ふきあえず)時代
天変地異の多発(原因は地球の収縮と膨張)
文明の消滅
寿命が数百歳まで短縮
第74代皇位が神武天皇
④神倭(かむやまと)時代
寿命がさらに短縮
現在の今上天皇は127代目の天皇
現在は神倭時代
神倭時代が始まる前、日本の歴史に古代ローマ帝国に攻められている!?劣勢にあるようなニュアンスの歴史表記がありました。(記憶が........w_(._.)_)
これは四国に上陸する前のイスラエルの方にいた古い時代を指しているのでは!?四国に帰ってきたのもあちらで何かあったからでしょうか!?
不合時代末期にあった6度目の大天変地異で、日本は壊滅的に。この結果統治していた世界も統一が失われ国が独立、覇権を争うようになったそうです。
アッシリアによる北イスラエル王国の占領がBC722年、神武天皇の御代がBC711年から。古代ローマがはじまっているのが紀元前753年ですので、そのあたりに表には出ていない歴史があったのかもしれません。
ちなみに、イル●ナティの末裔だった方の話ですと、地球大変動の時代、人類がエライことになっているのを見て「人類を支配してもいいだろう.......」とそこからイルミが始まったような話を動画でされていたと思います。
人類がパニックになった混乱期の「どさくさ」に紛れて支配を勝手にはじめてしまったような印象です。甘い蜜の味を忘れられずに転生してきているのでしょう。
古代の時代か!? いま向かっている世界の夢なのか!? 脱線します_(._.)_
頭上では自由自在に形を変えるホログラフィのようなものが人間を嘲笑っており、建物の3階ほどの高さでミキサー車が飛び建物に張り付いておりw屋内アンテナのような形をした飛行機がたくさんビュンビュン飛んでいました。スターウォーズのような世界でしょうか💦
地上にいる人間をバカにしたズル賢さを感じ不快で、その感じを表そうと考えたところ「狡猾」という文字が夢のなかでも表れました。
皆わかっていることですが、そこへ向かってはいけないんです。5Gも空飛ぶ自動車もクローン技術も。AIだけではないんです狡猾なのは「人」です。狡猾な人たちに負かされないようにしないと........です。
_(._.)_
初期の大和朝廷はニギハヤヒの神威を利用していましたが、古墳時代に生活が楽になると、ニギハヤヒを意識しなくなりました。
この頃から「古神道」に基づく日本古来の文化は抹殺され、仏教文化や儒教文化が取り入れられ、様々な国の人々が訪れ、権力者として日本の政治を左右するようになったと言われます。
蘇我氏の仏教と対立していた神道の物部氏が滅び、神武天皇と来た日向一族(蘇我氏、藤原氏)が占めることになったそうです。
こちらの神武天皇と来た豪族とされる方々が「イスラエルの10部族」なのか、末裔なのか、弥生系渡来人なのか.........!?
中国人や朝鮮人、ユダヤ人が渡来した中で一番存在感を増していったのがユダヤ人だったとのことです。
このユダヤ人が、縄文人とお仲間のスファラディ系ユダヤ人のイスラエル10部族なのか、自称大陸系ユダヤ人なのか判然としませんので「日ユ同祖論」の疑わしさが拭えないのです。しつこいようですがw
印象としましては、イスラエルのユダヤ人というより、自称大陸系ユダヤ人の存在感しか伝わってこないのですが.............!?
......................
いつの間にか古神道の場所に鳥居や社が建ち、神道はユダヤの影響を大きく受けるようになっていったそうです。
権力者として日本の政治を掌握した渡来人は、自国の方が優れているというように歴史を改ざんしようとし、ついには日本の歴史をも奪おうとするようになりました。
そこで第21代雄略天皇は竹内真鳥に命じて、神代文字で書かれた神代からの日本の歴史を漢字に改めさせ保存させました。
雄略8年(464年)2月に新羅に攻め込んだという記事がありますのでその年代の頃です。
一方、日本の歴史を奪おうとしていた蘇我氏らの圧力に対して本当の歴史は隠しました。
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日本は四国阿波に上陸してからの歴史も封印しましたが、それより遡ること何万年の日本の歴史も封印してきたわけです。
そして建国してからも渡来人の侵略から日本の歴史を守ろうと、古代天皇はご苦労なさってこられた模様です。
「隠す」もの「守る」もの多いですね、日本(笑)💦
ソロモンの神殿こと伊勢神宮を建設された秦氏について
原始キリスト教徒(秦氏)によって「ソロモンの神殿」が建設されたそうです。
それが伊勢神宮であるとのことです。
伊勢の内宮も外宮も全部建てたのは秦氏系「三井家」とのことです。
秦氏は景教(キリスト教のネストリウス派)徒のユダヤ人であると考察した。その内容は、「大闢大主(だいびゃくだいおう)」は、中国の景教の経典においてはダビデの意味であり、秦氏の建立した神社である大避神社(大酒神社)と、また景教の寺は「大秦寺[25]」で太秦と関係があるといったものである。
※ 大避神社のご祭神は大避大神=神格化した秦河勝となっていますが、実際は古代イスラエル王・ダビデ大王を祀っているとされます。
秦氏はヨーロッパを追われた古代キリスト教のネストリウス派の信徒だったという説や、百済ではなく、新羅から渡来したという説もあります。
秦氏が多く住んでいたとされる地域から発掘された瓦は「新羅系」が殆どだとか。
イスラエル含む大陸を「アジア」とすれば、ユダヤ人が東へ追われて来て中国や朝鮮に渡来したと考えられるそうです。
秦氏の本拠地にある八坂神社の祇園信仰にも、古代ヘブライの信仰と類似している点がある。
八坂神社や伊勢神宮の周辺などに、「蘇民将来」という伝承にまつわる護符があるが、ここにもダビデの紋章が出てくる。
また、Yashashkar(ヤ シャッシュカル)とは10支族の一つイッサカル族(Issacar,יִשָּׂשׁכָר)のアラム語における呼び名である。
日本とイスラエルの類似点については、ユダヤ系キリスト教徒ともいわれる秦氏(秦一族)の活動が影響している部分があるとの指摘がある。
ケン・ジョセフ『日本・ユダヤ封印の古代史2仏教・景教編』徳間書店 では以下のように述べられている。
秦氏は、もともとは、景教徒の拠点であった中央アジアの弓月国に住んでいた。
彼らは景教(ネストリウス派キリスト教)を信仰し、アッシリア以降の中東の共通言語であるアラム語を話していたとされる。
彼らはユダヤ人と同様に養蚕や絹織物技術にすぐれていたとされる。弓月国には、ヤマトゥという地や、ハン・テングリ山という山があった(「テングリ」はキルギス等の中央アジアの言葉で「神」という意味とされる)。
秦氏は、中国での万里の長城建設の労役を逃れるため、西暦(紀元後)360年頃から数回にわたって日本に渡来した。
5世紀末には渡来者は2万人程になったという。5世紀末、秦酒公は日本酒技術を発展させ、また養蚕で成果を挙げてウズマサの称号を得たとされている。
秦氏は絹技術や西方知識を持っていたため天皇の保護を受け、天皇に仕え、絹事業(ハタ織り)で財をなし豪族となった。
皇極天皇(642〜645)に関する日本書紀(720年成立)には、ウズマサ(アラム語でのイシュマシァ(Ish Mashiach、インド北部ではユズマサに由来するといわれる)また、ヘブライ語ではヨシュア・メシア:選ばれた者ヨシュア、ギリシャ語ではイエス・キリスト)を信仰する豪族として秦河勝という人物が登場する。
748年、秦大酒は大蔵長官となり朝廷の財政に関与したといわれる。
秦氏は京都の太秦を本拠地としていた。その一部は大分の宇佐に住み、一説には710年頃に成立したともいわれるヤハダ神(YHWDH:ユダ/ユダヤ)を信仰し八幡神社を創設した。Yahawada (יְהוּדָה)とはアラム語で失われた支族のユダ族を意味する。八幡神社は749年頃に急に勢力を持ち始め、奈良に上京し、このときはじめて神輿をもたらした。これが神輿の起源で、八幡神社は全国に広まったという。
仏教勢力から逃れるため794年平安京遷都が行われ、その直後に京都で祇園祭が始まった。また、秦公伊呂具は稲荷神社(イナリ:JNRI/INRI:ユダヤの王・ナザレの・イシュ(イエス):当時の支配者ローマの公用語ラテン語でのキリストの別称)を創建したとされる。
元伊勢には秦氏の関与するものが多く、伊勢神宮の遷宮に関与したとの説がある。
松尾大社は秦都理が創建したといわれる。京都の下鴨神社は秦一族の族長を記念して建てられたという説があり、皇室の儀式を多数執り行った。
このことから秦一族は南王国に由来するユダヤ人との見方が有力である(ただし、秦一族には舟の家紋を持つものが多く、十支族のゼブルン族が舟の紋章を持つこととの関係も指摘されている)。
ウズマサ明神を祀る京都太秦の大酒神社は古くは大辟神社といい、大辟は中国ではダヴィといいダビデを意味するとされる。
また、秦河勝が弓月から持って来たという胡王面(異国の王の面)はユダヤ人あるいは天狗のように鼻が高い。出典:Wikiwand
日本は多文化と共生しうまく融合しているなどと言われます。単に日本に忍び込み懐柔する策略に気付かなかったとも言えますし、外国かぶれして自国の文化をなおざりにしてきたのだと自身反省します。
戦後の抑圧された日本しか知りませんが、さまざまな封印が解かれるチャンスの時代にも巡り合わせています。
籠のなかに永いこと閉じ込められていましたが、もう解放されましょう(笑)してくださいw
日本がここらで自国の歴史を書いていけるように変わらないといけませんね💦
お読みになってくださった方ありがとうございます (゚д゚)ノ