- アラハバキと関係のある「出雲族」にまつわる事実が分かりにくいので調べてみました
- 出雲族の大祖先のクナト大神について、出雲族の末裔「富家」伝承と記紀との違い
- 「出雲神族」のルーツは出雲ではない!? 出雲族の大先祖「クナト」と「アラハバキ」は抹殺されかかり、別な存在へ変身した
- エデンの園や人工ピラミッド、キリストの墓など古代ミステリーが集まっている 青森県の十和田湖周辺
- 南方の バヌアツ共和国で見つかった青森県の三内丸山縄文土器の破片。
- 出雲族が開拓した武蔵国(埼玉県)氷川神社には「アラハバキ神」が祀られ、古くは荒脛巾神社(あらはばきじんじゃ)と呼ばれていた
- 古代多摩から古代東北に住んでいた蝦夷の土器と同じ技法の土器が出土
- ヒッタイトより古い時代の5000年前の先住民「ハッティ人」は「アナトリコン(日出る処)」と呼ばれた「アナトリア」に居住していた
- 出雲地方の人のDNAは弥生系!? 縄文系!?
アラハバキと関係のある「出雲族」にまつわる事実が分かりにくいので調べてみました
日本史上最大の偽書としての烙印を押されてしまった『東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)』という古文書があることを綴りました。(4項目目です)👇
その全360巻を公開されているサイト様がありました。
目次を見ただけでも神や天皇、古代文字、諸外国の文明、宇宙.........記述範囲が幅広く、興味深いものを感じます。
www.tagenteki-kodai.jp/Chousaku360.html
その古文書のなかにアラハバキ神という神さまが登場します。
津軽地方で最も繁栄していた古代豪族「安東一族」がおりました。
天正15年、古代豪族に強い恐れをなしていた津軽藩は、圧政により安東一族を弾圧、家系図、古文献などを抹殺するほどでした。
安東一族が古代から最も崇拝していたアラハバキ神の祟りを恐れていたからとされます。
👇そのアラハバキ神さまです。
このナゾとされる神さまの研究をされている方も大変多く、その解釈もまちまちのようです。
明らかになってきたことは、天孫族が日本に渡来する以前に、先住民族によって祀られた神さま、地主神であるという事です。
古代日本には天孫族ほか、以下の民族がいたようです。
出雲族 天孫族はネットでよく目にするものの、少し調べてみますと様々まちまちな情報が多く混乱します^^;
言葉の意味としては.........
天孫族は、日本神話において降臨しヤマト王権をつくったとする古代勢力の総称。また「新撰姓氏録」では天照大神などの子孫を神別の「天孫」としている。
出雲族(いずもぞく)は、古代の出雲地方に存在したという説のある種族。出雲神話の担い手として想定されている。
引用Weblio
出雲族の方にはネガティブな説もあり、何か意図的に「真実」が歪められ間違った印象をもつようにされている可能性も感じます。
アラハバキ神とも出雲族は関係していますので筆者なりに調べてみました。
出雲族の大祖先のクナト大神について、出雲族の末裔「富家」伝承と記紀との違い
出雲族の末裔「富家」伝承本によりますと、出雲族は大古、サイノカミ3神(クナト大神・サイ姫・その御子 猿田彦命)を奉祭していたと言われます。
出雲族の大祖先のクナト大神は、この世界が一夜にして氷の山になった時、その難を避けるため、一族を引き連れて移動を始めた。
東の彼方から氷の山を越え、海沿いを歩いた。
そうして何代もかかってようやくたどりついたのが出雲の地であった。今から4000年前のことである。
クナト大神はいろいろな知識を持ち、前からこの地に住んでいた人々に、鉄の採り方や布の織り方、農耕の方法などを教えた。
糸は、麻・綿、はたの木から作り、これをクリやシイの実で染めた。
出雲人に戦いの歴史はなかった。人々は生活を良くしてあげることで、自然についてきた。クナト大神は、王に推された。
伝承では、クナト大神は東の彼方から何代もかけて4000年前出雲の地に 辿り着き、人々に農耕等の文化を授け王に推された大神さまのようです。
記紀のほうでは、 日本神話の『神産み』の段において、クナト大神は黄泉から帰還したイザナギが禊をする際、脱ぎ捨てた褌から道俣神(ちまたのかみ)が紀元前3~2世紀頃化生した神となっています。
イザナギの禊によって産まれた神の一人が、道俣神=クナト大神とのことです。
記紀では紀元前3~2世紀頃産まれた神のようですが、伝承では4000年前ようやく出雲に辿り着いています、何代もかけて。
編纂されている記紀より伝承のほうが事実に近いとしますと、クナト大神は相当古くから存在しており、もしかしたら日本神話以前の神かもしれません。
通説では、クナト大神は「外敵の侵入や悪霊を封ずる、さえぎる」神と言われているそうです。
「出雲神族」のルーツは出雲ではない!? 出雲族の大先祖「クナト」と「アラハバキ」は抹殺されかかり、別な存在へ変身した
「出雲神族」の末裔で、一子相伝の「口伝」により古代の歴史を伝えてきた「富氏」の伝承があるそうです。
その伝承によりますと、「出雲神族」はなんと...........
「東北方面」から出雲に移住してきたそうなのです。
いつの時代のことでしょうか!?💦 クナト大神一族を引き連れて東の彼方から出雲に辿り着いた4000年前でしょうか!?
通説では反対で、出雲族は東北へ移動したことになっています。
天照系の神々に出雲を追われた国つ神(天孫族が来る以前から土着していた神)たちは東北へ移動した。
ヤマト王権によって平定された地域の人々が信仰していた神が国津神に、ヤマト王権の皇族や有力な氏族が信仰していた神が天津神になったものと考えられる。
出雲を追われた「国つ神」=天照系の神々が来る以前から、その土地に長く住み着いていた神=クナト大神。
天照系より古い神さまが「出雲族」なのではないでしょうか!?
鎌倉時代の初め頃までは、「大和朝廷が支配する国」と、「出雲王朝の流れを汲む【和】の人たちの国」があり二分していたようです。
【和】とは「出雲の国譲り」のあと、畿内から遠い九州あるいは東北方面に逃れた人々の国で、東北に安住した者は蝦夷(えみし)と呼ばれ、九州に安住した人は隼人(はやと)と呼ばれるようになりました。
通説で荒脛巾神社を奉じた蝦夷人達は、一部は出雲族に同化し、大和朝廷に追われた一部は東北へ逃れたと言われます。
大和朝廷と出雲王朝の関係はどうなっていたのでしょうか?
遥か昔、出雲には「和」と呼ばれる国の人々が暮らしていました。
やがて大陸から九州に渡ってきた邪馬台国、つまりヤマト族の集団が北上し、出雲で「和」の人々と敵対関係になりました。
大陸から来た邪馬台国、ヤマト族が出雲の「和」から国を護られた(ということにした)神話を広め大和朝廷を作り上げたということです、敵対関係にあったのですから。
出雲族は東北へ逃れたのか.........!? 大和朝廷の創作の可能性もまったく無いとは言えないかもしれません。
出雲神族の末裔、富氏の口伝には...........
『我々の大祖先は、「クナト(岐神)」の大首長だが、もうひとつの隠された女首長に「アラハバキ(荒吐神)」があり、体制側によってこれらが抹殺されようとしたとき、「クナト」は「地蔵」に、「アラハバキ」は「弁才天」へと変身した。』とあるそうです。
「クナト」と「アラハバキ」は男神と女神のペアで、「遮光器土偶」が「アラハバキ」の神さまを象ったものとされ、土偶が「女性」の特徴を強調していることから「女神」と認識されていると言われます。
アイヌの古語では「クナト」は男性「アラハバキ」は女性の生殖器を意味するとされ、本来は一対のものだったそうです。
出雲族の大祖先「クナト大神」と一対だった「アラハバキ」は、アイヌの古語「アラハバキカムイ」のことでしょうか!?
カムイというアイヌ語は日本語では「神」や「仏」と訳されますが、アイヌ民族の信仰では、この世のあらゆるものに〈魂〉が宿っていると考えられています。
なかでも、動物や植物など人間に自然の恵みを与えてくれるもの、火や水、生活用具など暮らしに欠かせないもの、天候など人間の力が及ばないものを〈カムイ〉として敬いました。
伝承ではアイヌの神様は黒雲に乗って現れると云われています。
アイヌの信仰から考えますと、「アラハバキカムイ」は視えない神聖な存在のようにも思えますが、出雲族の大先祖である女首長の「アラハバキ」と同名の神を信仰しています。
出雲族というのは、先住民アイヌが住んでいた北海道、東北方面に起源をもつ可能性があるのかもしれません。
「遮光器土偶」はアラハバキの女神であり縄文宇宙人なのでしょうか!?
日本の神社で最高の地位を占める伊勢神宮の内宮に関して、天照大御神を祀る前からの地主神が「アラハバキ神」ではないかと言われます。
時の権力者により最高神アラハバキの信仰は消されて行きましたが、アラハバキ神を信じ何とか守り残していきたいという民により、本殿や本堂ではなく摂社・末社にひっそりと祀られています。
中には「物置小屋」の様な外見にカモフラージュしてまで、祀っていた民もおられたようです。
そんなにまでして「日本人」に大切に守られた「地主神」を抹殺しようとしたのはナゼなんでしょうね!?
恐らくその土地に降臨した最初の女神さまではないでしょうか!?
時の権力者ら(日本人ではないかもしれません)には煩わしい理由でもあったのでしょうね。
エデンの園や人工ピラミッド、キリストの墓など古代ミステリーが集まっている 青森県の十和田湖周辺
紀元前12000年、古代アソベ族は青森県十和田湖の十和利山に霊山ピラミッドの巨石神殿を築き、東北各地で巨石メンヒルや石神、岩偶、土偶神像を信仰していました。
アソベ族は、アイヌ先住民以前のコロポックル(カラポックル)であるとも言われています。
出典:リゾートバイトドットコム Wikipedia
『竹内文書』によりますと、十和利山の麓にかつて華麗な都が栄えていたそうです。竹内巨麿は、十和利山は「5万年前に作られた日本最古のピラミッド」だとしています。
出典:Wikipedia 東北森林管理局
今から8千年前、もしくは1万2千年前に十和田超古代文明が栄えていましたが、十和田湖の火山大爆発が起こり、文明は滅びたと言われます。
カルデラ湖の十和田湖は5500年前に形成されたとされます。
都市伝説では、十和田湖の下に人口ピラミッドが沈んでいる可能性が指摘されており、華麗な都が存在していたことが想像されます。
迷ヶ平という高原のような一帯は 「エデンの園」と呼ばれているそうで、『アダムとイブの物語はこの地で行われた』との伝説が残されています。地球人創生の遺伝子施設が在ったとか無かったとか!? 地理的にキリストのお墓も近いとの事です。
竹内文書には「古の時代、十和田高原にはスメラノミコトの始祖が築いた神の都があり、世界を統治していた」と綴られているそうです。
有史以前に青森県には超古代文明が存在していた可能性があるのかもしれません。
スメラノミコトの始祖ですから、人類史的にいつの時代のことやら!? 相当〜古の時代、ムーやアトランティス大陸が沈むより以前になるのでしょう。
『日本書紀』では出雲族は韓国に上陸後、出雲地方に渡ってきたという記述になっていますが...........
以上の可能性を考え、天皇家の起源が青森県にあると仮定しますと、富家の伝承『出雲神族は東北方面から出雲に移住してきた』は事実になるのではないでしょうか!?
東北に天孫降臨した ニギハヤヒについて綴っています。(5項目目です)👇
まさかの日本の「東北・青森」に、.日本人の、人類の..........「起源」となる場所が存在していた!なんてこと..........世界的にもあってはならないのでしょうねぇw^^;💦
因みに紀元前13500年頃、人類の最初の文明の痕跡は北海道からシベリアにかけた地域で見つかっています。
南方の バヌアツ共和国で見つかった青森県の三内丸山縄文土器の破片。
プレートテクトニクス理論によりますと、オホーツクの北方で中国大陸から分離した東日本列島は、千数百年の間に青森県を南として南下し、フィリピンの東に位置していたとされます。
バヌアツ共和国のエファテ島で縄文土器の破片が発見され、青森県の三内丸山遺跡で作られたものであることが判明しています。
縄文人、アイヌ民族が住んでいた北海道や東北は南方の島だった可能性もあるのではないでしょうか!?
バヌアツ共和国と日本列島は太平洋プレートで繋がっているそうです。そのためバヌアツと日本で起きる地震が連動していると言われます。
出典:天下泰平
アラハバキは「製鉄の神」と言われますが、アラハバキが鎮座する荒脛巾神社(宮城県多賀城市)の北方に砂鉄の産地があったことが考えられています。
縄文文化の痕跡や産鉄神信仰の名残りが東北地方に見られるのも南方にあったからとされます。
出雲と吉備も「産鉄地」ですが、優れた製鉄技術は強国となる原動力であったとされます。
出雲族が開拓した武蔵国(埼玉県)氷川神社には「アラハバキ神」が祀られ、古くは荒脛巾神社(あらはばきじんじゃ)と呼ばれていた
アラハバキ神を祀っている神社の一つとしてさいたま市大宮区の氷川神社が挙げられます。
氷川神社のご祭神は、須佐之男命(すさのおのみこと) 稲田姫命(いなだひめのみこと)(クシナダ姫)大己貴命(おおなむちのみこと) です。
『新編武蔵風土記稿』の足立郡の条には、氷川神社に摂社門客人社(かどまろうど)があること、祭神は豊石窓、櫛石窓の二神であるが、古くは荒脛巾神社(あらはばきじんじゃ)と呼ばれていたことが記載され、最初から三神を祀っていたわけではないようです。
「門客人」とはそこに元々祀られていた神ですが、後に「日本神話」に登場する神に置き換えられ、客人神として境内の隅に追い払われてしまった神です。
「客人神」は地主神がその土地を奪われて、後からやって来た「日本神話」に登場する神々と立場が逆転し、客神となったと考えられています。
アラハバキ神は 山陰地方・島根の地に4000年も前から住んでいた出雲族が、氷川神社のある武蔵国にやってくる前の地元神だと言われます。
出雲族の末裔「富氏」家の伝承でも、出雲族の大祖先のクナト(岐神)大神が何代もかかって出雲の地に辿り着いたのが約4000年前でしたね。
記紀神話に全く登場しない「アラハバキ神」が、氷川神社本来のご祭神であったそうです。
天照大御神を祀る前からの伊勢神宮の地主神が「アラハバキ神」ではないか?と言われるのと同様です。
氷川神社は出雲とのつながりが深く、この武蔵国の地の開拓は出雲族によるものとされます。
ご祭神が天照大神となってはいるものの、本殿ではない 摂社、末社のご祭神に大国主神(尊、命) や須佐之男スサノオ尊の名前が見られるところは、出雲系の人々によって建 てられたものであることを物語っているとされます。
前述しましたが、富家伝承本によりますと、出雲族は大古、サイノカミ3神(クナト大神・サイ姫・その御子 猿田彦命)を奉祭していたと言われます。
氷川神社を創建した頃の出雲族が、そちらの3神を祀っていたかは不明です。
出典: 斎木 雲州著『出雲と大和のあけぼの』
物部氏の祖は饒速日(ニギハヤヒ)ですがナゼ祀られていないのでしょうか?
物部氏の祖=饒速日(ニギハヤヒ)=素戔嗚尊(須佐之男命スサノオノミコト)ではないかという説があります。
出雲の斐伊神社の社伝によりますと、『孝昭天皇五年にご分霊を元官幣大社氷川神社に移した』と古史伝に記載されています。
「氷川神社」社伝には、『成務天皇のとき、夭邪志国造である兄多毛比命が出雲族をひきつれてこの地に移住し、祖神を祀って氏神とした』とあります。
出雲族だった兄多毛比命=「夭邪志国造」は埼玉古墳群の豪族です。
聖徳太子の舎人として活躍し仏教に理解のあった物部連兄麻呂は、633年に武蔵国造に任じられたと言われています。
埼玉古墳群をつくった豪族は、この物部連兄麻呂と関係があったとされ、物部氏やその系統にある阿倍氏らと、地方豪族である武蔵の物部連氏(物部連兄麻呂)がつながっていたとされます。
武蔵国造職は丈部直(阿倍氏)や物部連などが務め、8世紀の律令時代の国造は氷川神社を奉斎していた足立郡の丈部直(はせつかべのあたえ)氏ではないかとされます。
古代多摩から古代東北に住んでいた蝦夷の土器と同じ技法の土器が出土
縄文・弥生を経て奈良朝の時代まで武蔵野の地は、「蝦夷」の土地であったとされます。
古代多摩(帝京大学八王子キャンパスの地下)からも古代東北に住んでいた蝦夷の土器と同じ技法の土器が出土しています。
大和朝廷は武力を用い蝦夷を討伐していましたので、武蔵野に住んでいた先住民も、東北や各地に追いやられ蝦夷となり定住したのでは!? と考えられますが.........
出雲族のルーツが東北にあると仮定しましたら、東北の出雲族、蝦夷が移動してきた可能性も考えられます。
「武蔵野」といえば東京多摩地方をイメージしますが、古代のある時期まで武蔵野国一帯の中心地は現在の「埼玉県」だったそうです。
現代は東京が日本の中心ですが、古代は逆で埼玉県や千葉県に中心があり、後に江戸になる東京23区などは単なる入り江だったそうです。
徳川家康!? が東京湾を埋め立てたのではなかったでしょうか!?
「まつろわぬ民」(平定事業において抵抗を続け、帰順しない民族)であった蝦夷は「火」を使い「鉄」を造る技術、文化のある人たちで、氷川神社の周辺は「産鉄地」であり、考古学の常識では、古代の埼玉県は「鉄鋼」の大産地だったということです。
優れた製鉄技術は強国となる原動力だったことを考えれば...........出雲族が国造りを行った埼玉県が「出雲王朝」だった可能性もあるのではないでしょうか!?
縄文文化の産鉄神信仰、産鉄地の出雲と武蔵国、製鉄の神さまアラハバキ.........
古代の「出雲王朝」は「埼玉県」にあったとされる説があります。映画「翔んで埼玉」は大ヒットしましたが、さすがにトンデモ過ぎでしょうか!?^^;
ヒッタイトより古い時代の5000年前の先住民「ハッティ人」は「アナトリコン(日出る処)」と呼ばれた「アナトリア」に居住していた
「鉄」の話が続きますが.........._(._.)_
鉄の製造を始めて製造技術を独占し、周囲を征服したとされているヒッタイト帝国が栄えていたのは3200年前から3300年前です。
ヒッタイト人は半数くらい渡来しているとされます。
トルコ中部にある遺跡で、それより1000年古い層からも鉄の塊が見つかっています。
見つかった地層では古代中近東の様式とは違う、木造建築物の遺構も見つかっています。ヒッタイトよりも前にいた違う民族が、鉄の製造を伝えた可能性があるようです。
発見現場のトルコ共和国は、南を地中海、西をエーゲ海とマルマラ海、北を黒海に囲まれており、この地域は「小アジア」と呼ばれ、「アナトリア」とも呼ばれています。
東ローマ帝国時代にギリシャ語で「アナトリコン(日出る処)」と呼ばれたのが「アナトリア」の名称由来となったそうです。
ヒッタイトが現れる前段階の5000年前に、先住民「ハッティ」がアナトリア半島中央部に居住していました。
「ハッティ」は周辺の言語とも違う独自の言語を話し、膠着語であったのでシュメールとの関連も考えられます。シュメール、ハッティも同じ頃4000年ほど前に滅亡しました。
このハッティ人が鉄を発明した最初の人類とされます。
5000年前にハッティに産鉄を伝授したのは、製鉄の神アラハバキを祀っていたスメラノミコト、その一族だったのではないでしょうか!?
出雲地方の人のDNAは弥生系!? 縄文系!?
出雲地方は西日本の日本海側に位置しますので、朝鮮半島のDNAが出てもフシギではありませんが、出雲地方の人のDNAを調査した結果「D1b」だったということです。
遺伝解析の結果、出雲族の遺伝型は「D1bで縄文系」となり、出雲族は縄文系日本人であるということになります。
古代の血統(ハプログループ)「D1b」はほぼ日本人しかもっておらず、特に「アイヌ人」は9割近くもっています。
出雲族の末裔が住んでいる出雲地方の人のDNAが、縄文系D1bであったのも、縄文人、アイヌの住んでいた「東北方面」にルーツがあったからではないでしょうか!?
出雲族とアラハバキの神さまを辿って行きますと、日本の意外な隠れた歴史が見えてきました^^;
歴史の大転換期、古代からの本当の真実の日本の歴史が知りたいものです。
超能力者や前世の記憶がある方などが語る古代は、やはり皆まちまちなようです。真実を知る術はないのでしょうか!?^^;(笑)
お読みくださった方ありがとうございます (゚д゚)ノ