- はじめに
- 渡来系弥生人の大きな影響で「日本人」の縄文人のDNAは10%になった
- 縄文人のDNAはユーラシア大陸全般に広がっていた
- 縄文人のDNAと親戚の「E」系統をもつ末裔がイスラエルのサマリア「レビ族」に.....
- 日本の初代天皇「神武天皇」とイスラエルのサマリア
- 日本の天皇が「世界」を統治していた時代!?
- 初代天皇「神武天皇」と第10代「崇神天皇」と「氷川女體神社」について........。
- 「古代の日本人が海外へ行った形跡は残されているのでしょうか?」
※ 万人向けの一般的ではない内容も含まれております事をあらかじめお断りしておきます🙇
はじめに
イスラエルに暮らしていたユダヤ人が日本に渡来し,、混血した時代があったのか!?
また、日本の方からイスラエルに入り混血した時代があり、その末裔が渡来したのか!?
その辺りが曖昧なままに「日ユ同祖論」が一人歩きをしています。
後者についての可能性を綴りたいと思います。
世界のなかでもタイヘン珍しい古代の血統とされるY染色体「D」系統。
そのDの特異的な変異であるYAP遺伝子「D1b」を多く持っているのは「日本人」です。
この「D1b」をもっている日本の代表的な人物は歴代天皇とアイヌ人です。
「D1b」は「縄文系」の遺伝子なんです。
Y染色体「D」とお仲間の遺伝子とされる「E」について 👇
Y染色体「D」と「E」が元の「DE」から分離した説についての考察など 👇
別の遺伝子の研究では、縄文人がイスラエルに行き移住した可能性があります。
縄文人のDNAが世界のどこに分布されているのか?
ミトコンドリアDNAで調べる研究が数年前からあるそうです。
渡来系弥生人の大きな影響で「日本人」の縄文人のDNAは10%になった
ミトコンドリアDNAについてと、縄文人と弥生人について先に触れさせてもらいます。
ミトコンドリアDNAは、核DNAに比べて塩基置換の起こる速度が速いこと、母性遺伝であること、ミトコンドリアDNAの数が多いといった特徴があることから、生物の進化を研究する上で非常に有効なツールとなっています。
特に、母性遺伝であるという特性を活かし、人類の系統や移住の足跡をたどるために利用されてきました。
例えば、ヒトの場合、父親と母親の間に出来た子供のミトコンドリアは、母親のミトコンドリアDNAを受け継ぎ、父親のミトコンドリアDNAは受け継がれません。
ミトコンドリアDNAは父性をたどることしかできないため、人類の系統や移住の足跡をたどるためには、学問的に不十分だとも言われています。
そこで最近では、ミトコンドリアDNAを利用するだけでなく、父系の系統のみをたどることができるY染色体の分析と併せて検証する方法がとられています。
ミトコンドリアDNAによって、母親からしか遺伝しない身体的な特徴があることも確認されています。
遺伝子には「強弱」がある
父母から受け継いだ遺伝子のうち、同じ部位に関して両方の特色が同時に出てくることはほとんどありません。
強い影響力を持つ遺伝子の性質が現れることになります。
たとえば、お父さんの髪の色が「黒」で、お母さんが「茶色」がかっていたら、黒になる確率が高いようです。この場合、髪の色に関して、父方が「優性遺伝」、母方が「劣性遺伝」と呼びます。
「優劣」という言葉は使っていますが、遺伝的に優れているということではありません。
意味合いとしては「強弱」と考えるとわかりやすいでしょう。
遺伝的に縄文人に最も近いのは日本人ですが、ほかでは極東ロシア、台湾の少数民族の人たちで、大陸の多くの人たちとはかなり違いが大きく、古代、縄文人のご先祖に当たる人々は大陸の人たちとは分かれて日本列島に渡ってきたと考えられるそうです。
D1b(YAP D55)の分布(2003、2004年データ)では、極東ロシアは入っておらず、台湾・漢族0%でした。
台湾に高頻度でみられるDNAは「O1a」ですが、アイヌ同様(過去)、原住民の人たちには入れ墨の風習がみられます。「ムー大陸」が存在していた頃の末裔の人たちなのでしょうか!? ロシアもDNAは「R1a」「R1b」「N」「I」 でした。東北、北海道の人のなかに「コーカサス」が入っていると見られる人がいるそうです。大昔古い時代に交流があったのかもしれません。
● ゲノム解析により、縄文人は現代の日本人と比べ肉や魚を消化しやすい遺伝子を持ち、遺伝的な多様性は低いことがわかった。
● 縄文人が狩猟や漁労を中心に小集団で生活していたことが遺伝情報からも裏付けられた。
● ゲノムの多様性が低い状態が旧石器時代から約5万年にわたり続いていたことも判明。
小集団で生活していたことを示すもので、獲物を求め移動を繰り返す縄文人の生活を反映しているらしい。
● 日本人全体ではゲノムの10%、アイヌ民族ではゲノムの70%が縄文人に由来することが分かった。また、縄文人は1万8000年~3万8000年前に大陸民族から遺伝的に分かれたことも判明した。
ちなみに縄文時代以降についての一般的な認識 👇
日本列島には再び大陸から大勢の人が渡ってきました。
これが渡来系弥生人です。
そしてこの人たちと以前から日本列島にいた縄文人が交流して、両者の遺伝子を受けついだ子孫ができ、現代の「日本人」になったと考えられます。
その割合としては、縄文人由来のDNAが10%ですから、渡来系弥生人の影響の方が大きかったということになります。:「縄文人てどんなヒト?」(くらし☆解説)解説アーカイブス/NHK解説委員室
👆 渡来系弥生人のDNAが9割>縄文人のDNA1割で「日本人」になったという事なんでしょうか!?
(国立遺伝学研究所集団遺伝研究室 教授 斎藤成也等によると、縄文系弥生人や渡来系弥生人の混血は古墳時代から始まり、その後に現代日本人が誕生した。現代日本人には14パーセントから20パーセントほどしか縄文人の血が入っていないという推定値が出ている。 )
推定値ですから、実際はどーなんでしょう!?
縄文人のDNAが10%20%というのは少なすぎです。そんなに中国大陸から渡来してきた人と混血しているのでしょうか!?
ほぼ「私も弥生系!? あなたも弥生系....!?......えっあなたも!?」www............
ココは「日本」なのに、縄文人のDNAをもった「日本人」に遭遇するのは珍しいことになります(笑)
「弥生系」で日本が構成されているのなら、スファラディ系ユダヤ人ならぬ、弥生系日本人になってしまいますw
一体どんな人々が日本に暮らし「日本人」を自称し日本が滅びに向かっているのでしょうか!?(笑)(泣)
これまでは皆日本人と思っていましたので、性格や考え、行動の違いなんだと捉えてきました。
実のところそれだけ大陸系のDNAで占められているのなら、DNAの違いと捉えたほうが納得がいく場合があるのかもしれません。
日本の歴史を教えているのが、おエライ大学の在日の方たちなので「アイヌ」などは日本人に教えられないと仰っている方がおられます。
大げさに言いますと、「お隣の国の人たち」に「日本」の歴史を教わっているような環境にあるのかもしれません。
おそらくそちらのDNAの入った権威の「日本歴史」には、権威の世界観や、偏向(歪んだ記述)が含まれている可能性があるのではないでしょうか!?
縄文人のDNAが10%しかなくなった日本の歴史ですから、大陸系の思想に浸食されてしまっているのかもしれません。
教科書のみならず、出版物、ネット記事、TVの歴史ドラマ......
日本人のご先祖が中国大陸からやって来たというのは事実なんでしょうか!?
バイカル湖畔から南下し華北に暮らしていたD系統(古代Y染色体=日本人)だが、漢民族の圧迫から逃れるためにさらに南下し日本列島にやってきて、縄文人の中核を形成した。
現代の日本人の体の中に占めるD系統の割合は3割、O系統は5割と、渡来系の比率が高い。
(日本人が大陸から来た、弥生の影響が大きいなどを主張するのに、Y染色体の比率が用いられているようですね、しかも数値はまちまちですw)
「少数渡来」「先住民との融合」「列島人の稲作民化」「継承された縄文文化」「稲作民の人口爆発」という有力な仮説を用いれば、謎はなくなる。(2015年5月18日「『任那日本府』の何が問題か」参照)
弥生時代の始まりとともに、渡来人の血が少しずつ染みるように先住民の中に受け入れられ、先住民は率先して稲作を選択し、人口爆発をおこした。
その後も大陸や朝鮮半島の動乱から逃れて人々が日本にやってきたが、彼らが日本列島を征服し、支配したわけではない。
.........................
なぜわれわれは、縄文人を軽視してきたのだろう。
教科書そのものが、かつての常識そのままに、「野蛮だから駆逐された縄文人」という歴史観を子供たちに押しつけていたように思えてならない。教科書には、「背の高い弥生人、小さな縄文人」の骨格写真が並べられていた。あれを見れば、縄文人と弥生人は入れ替わったと信じてしまう。:新潮社フォーサイト
👆 このような記事もどちらの方が書いていらっしゃるのだろう!?w
「野蛮だから駆逐された縄文人」👈日本人DNAのなかに、そんな卑下するような遠い記憶ないんですが.........。
中国北部に暮らしていた日本人のご先祖が、漢民族の圧迫から逃れるために南下して日本列島にやって来たことになっていますねぇ💦
これが「歴史」だと言われましても、そーとは思えません。
日本人のDNAがNOと言っていますw
稲作文化も弥生人が始めたことになっていますが、その稲も中国大陸のものではなかったという説が出てきています。
お米は神さまが黄人(きびと)=日本人(アジア人)はお米を食べるようにと授けてくださったと聞きました。
近年DNAでさまざまな事が解ってきていますので、検証を重ねて「真実」の歴史に書き換えていってもらいたいものです。👇
国史跡・青谷上寺地遺跡(鳥取市)で出土した2世紀ごろの弥生時代の大量の人骨、老若男女109体分のDNA分析の中間報告です。
国立科学博物館館長が、まだ途中段階で不確かだと断った上で「(人骨の)父系の遺伝子は縄文系に近いグループ」に多くが位置付けられると説明しました。
散乱した状態で出土。殺傷痕が残るものもあった。
戦闘など凄惨な行為があったと考えられるが、その背景は明らかになっていない。一般的な血族集団間の争いなどではないと思われる。
「魏志倭人伝」には「倭人が乱れた...」などの記述があるそうです。
このDNA分析からは、異様な状態で「縄文系」の人骨に偏り発見されています。血族集団間の争いなどではなく、戦闘など凄惨な行為があったとすれば.......
弥生と縄文が「融合」していたのか.....果たして.......!?
大陸からの侵略者目線の歴史と、先住者の日本人から見る歴史が「公正」に描かれるとは思えません。
しかしながらココは「日本」ですからね💦✨
客観的な「史実」を後世に伝える必要があるのではないでしょうか!?
縄文人のDNAはユーラシア大陸全般に広がっていた
前置きが長くなりました_(._.)_
ミトコンドリアDNA研究によりますと、ユーラシア大陸全般に縄文人のDNAが広がっていたそうです。
朝鮮半島が一番多く、次いで中国、インド、そして欧州でも多くの縄文人のDNAが発見されています。
縄文時代の縄文人を「母」とするDNAが日本、近隣国のみならず欧州でも見つかっているのはフシギです⁈❓
古代に他国と交流していた歴史があるなんて聞いたことはありません。
小集団で生活していた縄文人のDNAが世界に分布しているのはナゾです⁈❓
しかしながら、ミトコンドリアDNA研究だけではありません。
縄文人男性のYAP遺伝子の分布の研究(大分の大学の教授)からも、ユーラシア大陸全般に縄文人のDNAが広がっていたことを裏付ける結果が出ています。
縄文男性のDNAの分布の多くは3カ所に限定的に集中しており、現在のイスラエル、中国内陸部、インドの南端でした。
ほかの地域ではほとんど発見できなかったそうです。
この研究の結果からは、「縄文人」=「父祖」とする子孫、末裔が「イスラエル」に存在したことが示唆されると考えられます。
縄文人のDNAと親戚の「E」系統をもつ末裔がイスラエルのサマリア「レビ族」に.....
獲物を求め移動を繰り返す縄文人が、ユーラシア大陸をわたりイスラエルまで行ってしまったくらいしか常識範囲では可能性として思いつきませんが..........。
イスラエルに日本と「同祖」となるDNAをもつ末裔が存在するということは、縄文人がイスラエルに移住し、「文化」を興し「子孫」をのこした可能性もあります。
Y染色体「D=日本」とお仲間のDNA「E」系統が、イスラエルの失われた10部族の末裔に存在していましたね。
E系統は「イスラエルの失われた10部族」の故郷サマリアで見られ、今日でも末裔が住んでいるそうです。
再びこちらに記しています 👇
イスラエルのサマリアに「失われた10部族」の「レビ族」の祭司、DNAは「E」系統が現在でも存在しているそうです。
神と人の間に立ち祭祀を行う祭司家のレビ族には、イスラエルの土地は授けられていません。
イスラエルの12人の子供たちは神の命によって「氏族」ごとに戸籍登録が行われ、「約束の地」において国家を樹立。
後日、統一イスラエル王国は分裂し、北王国イスラエルの10部族と、南王国のユダ族とベニヤミン族に分かれてしまいます。
またヨセフの代わりに、子供のエフライムとマナセがヤコブの養子として、北イスラエル10部族のうちの2部族となりました。
レビ族には、神から「幕屋とすべての祭具の運搬と管理をさせる」という特殊任務があたえられた為、戸籍登録の対象外となり、土地を所有することが許されなかった。
(幕屋=イスラエルの民が神の住まわれる聖なる場所として崇めた移動式テント型の神殿)
写真:聖書研究wiki@trinity_kristo
臨在の幕屋の東側の正面に宿営するのは、モーセおよびアロンとその子らです。
彼らはイスラエルの人々のために聖所を守ります。ほかの者がその務めをしようとするならば、死刑に処せられます。
レビ族の末裔が現在でも暮らすサマリアについて、当ブログ👆でメモしていましたが、日本の初代天皇の名前が出てきていました。
「神武天皇」=神日本磐余彦天皇(かむやまといわれひこのすめらみこと)
日本語の「かむやまといわれひこのすめらみこと」をヘブライ語にしますと
👇
かむ 集う、集結または創建、創設
やまと 神の民
いわれ ヘブライ人
ひこ 最初、高貴、高尚
すめら サマリヤ(北イスラエル王国)また栄光
みこと 王、大王
神日本磐余彦天皇(かむやまといわれひこのすめらみこと)=神武天皇
‖
サマリアの大王・神のヘブライ民族の高尚な創設者
と訳されるようですね。
👆 こちらの画像の「神武天皇」が、古代イスラエルと関係していたとは想像できませんが、なかなか.......💦
日本の初代天皇「神武天皇」とイスラエルのサマリア
聖書系サイトでは神武天皇についてこのように述べておられます。 👇
ヤサカのマガタマ
このように日本最初の天皇の称号に、失われた10部族の記憶が、反映されているようです。
しかしこれは、「神武天皇が、はるばるサマリヤの地から渡来した北王国イスラエルの王その人であった」ということではありません。
ここで言えるのは単に、失われた10部族の日本への渡来の記憶が、古代日本の統治者の「権威づけ」に利用されたかもしれない、ということなのです。
「日本が世界最古の国」を認めない側からしますと、里帰りした神武天皇は「ヤマトの創始者はヘブライ人であり、その王国サマリアから渡来した」という主張になるのかもしれません。
イスラエルのサマリアから渡来した古代ヘブライ人が、「日本」の初代天皇になったという事になってしまいます。
日本側からしますと、「日本の神武天皇がイスラエルに赴き文化を興し里帰りした。」となります。
と言いましても、もちろん日本はそんなこと一切言っていませんが。「日ユ同祖論」についてもw
おそらく神武天皇は北王国イスラエルの王だったということなんでしょうかね!?
イスラエルに縄文男性のDNAが集中して見つかっているということは、古代に現地に行った縄文男性が子孫をのこしてきたからとしか考えられません。
紀元前722年アッシリアによる占領後、ユダヤ教と異教との混合がなされたため、エルサレムのユダヤ人は「サマリア」の住民を差別視したそうです。
もしかして、その異教とは「神道」でしたりして!?
祭祀をするレビ族の末裔がサマリアに今も住んでいることを考えれば.............
だから差別視されたのではないでしょうか!?
想像しながらすすめております............._(._.)_
日本人(モンゴロイド)=古代天皇の血統の入った末裔や、神道の教えを守っている部族が差別を受けたのかもしれません。
サマリアという地は、紀元前9世紀初めには、パレスチナの中央部に建設された「イスラエル王国の首都」だったみたいですし。
古代にユダヤ人はサマリア人のことを嫌っていた時代があったそうです。
10部族は渡来していたと言われますが、「古代日本人のDNA」を受け継いだ「イスラエル部族の里帰り」ということになるのだと思います。
紀元前922年頃ソロモン王の死後、北イスラエル10部族と南ユダ2部族の王国に分かれた。
紀元前722年、アッシリアに滅ぼされ、10部族のうち指導者層は虜囚としてアッシリアに連行された(アッシリア捕囚)。
虜囚の数は2万7290人で、北王国滅亡直前の段階の北王国の全人口の約20分の1程度(サルゴン王の碑文にて推定)が行方不明。その南王国の2部族。👈「失われた10部族(広義には捕囚とならなかった北王国の住民を含んでいう場合がある)」
神武天皇御代が紀元前711年から始まっていますので、紀元前722年以降に失われた10部族が渡来したとすれば、「神武天皇御代の時代」と重なるのではないでしょうか!?
10部族が神武天皇以前の天皇の子孫の可能性もあるのかもしれません。
トンデモな展開で推測しています_(._.)_💦
日本の天皇が「世界」を統治していた時代!?
以下につづきますが、日本の天皇が「世界を統治」していたのは「不合朝(ふきあえず)七十三代」までです。
神倭朝(かんやまとちょう)からは「日本だけ」の天皇として神武天皇からはじまり、現代の天皇に続いていると言われます。
「不合朝七十三代」と「神倭朝一代」の天皇は神武天皇であるそうです。
「竹内文書」が偽書ならば👇「おとぎ話」です(笑)_(._.)_
「天神七代」「上古(皇統)二十五代」 「不合朝(ふきあえず)七十三代」まで、日本の天皇(スメラミコト)が「世界」を統治。
神倭朝(かんやまとちょう)からは、「日本だけの天皇」として、神武天皇から現代の天皇に続いている。
天神時代に発達した「原生人類」に、スメラノミコトの遺伝子を注入し、青・赤・白・黄・黒の五色に分けた人類を「五色人」と呼び、世界に散りばめた。
スメラノミコトが世界を16に分け、15人の皇子と1人の皇女を主要な地域に派遣し守らせた。
(世界中の遺跡に点在する「十六菊家紋」がその名残り)
上古時代には、スメラノミコトは天の浮舟(アマノウキブネ)と呼ばれる、1日に1万5000キロ以上飛ぶ、船の形をした飛行機のような乗り物に乗り、主に国々の視察や、王の任命を目的として、万国巡幸の旅に出た。
スメラノミコトが乗船していた天の浮舟は、空を飛んだり水中を潜ったりできる高度な宇宙船だったようです。
ロケットのようなものという説もあります。
👆 こちらのうつろ船の写真は、江戸時代の伝説。1803年(享和三年)の春、原舎ケ浜(茨城県)の村で、海岸に打ち上げられたおわん型の船です。
鉄でできており、ガラスか水晶でできた窓がついているように記録されています。
中には女性が乗っており「美しい人」人だったそうです。
日本人が見てそのように表現しているからには、金髪碧目ではなかったということですし、「人間」なのでしょう。
話が飛びましたが_(._.)_
神武天皇の 称号をヘブライ語にすると「サマリア」の意味になるのも、王として任命された地に自身の称号をつけたからではないでしょうか!?
日本語はもともとヘブライ語やマヤ語だったそうです。
任命された皇子たちが、その国の文字などをそれぞれ考えたという説もあります。
初代天皇「神武天皇」と第10代「崇神天皇」と「氷川女體神社」について........。
通説では、日本の初代天皇とされる神武天皇(紀元前711年2月13日~紀元前585年4月9日)は、「古事記」「日本書紀」に登場しますが、現在の歴史学上は神話・伝説上の人物とされています。
神武天皇のご子孫という方がおられますので、該当する人物は実在したと思われます。
(ギネス世界記録では、神武天皇の伝承を元に、日本の皇室を「世界最古の王朝」としているが、発行物には「現実的には4世紀」と記載している。なお実在が確実な継体天皇から数えても、現存する王朝としては世界最古にあたる : Wikiwand)
また第10代「崇神天皇」という方が、「神武天皇」と同一人物ではないか!?という説も数多く見受けられます。
現在多くの学者・研究者によって崇神天皇の存在は認められています。
開化天皇の皇子で御間城入彦五十瓊殖尊(みまきいりびこいにえのみこと)。
御間城入彦の母は「物部氏」の遠祖の大綜麻着杵の娘伊香色謎命(いかがしこめのみこと)であるが、この物部氏が王朝の成立に大きく影響を与えている。
(物部氏=神武天皇よりも前にヤマト入りをした饒速日命が祖先と伝わる天孫族系の神別氏族)
天孫族:天照大神の子孫とみなされる神々、天穂日命、天津彦根命、天火明命、火闌降命、天佐鬼利命の子孫を『天孫』と定義している。
皇室、出雲氏、三上氏、物部氏、尾張氏、山背国造、広峯氏、土師氏、隼人などはその子孫にあたるとしている。
..........................
パワースポットやスピリチュアルに特段詳しくはありませんが、崇神天皇の御代に創建されたことも知らずw_(._.)_、さいたま市にある「氷川女體神社」には何度かお参りに行ったことがあります。
こちらの神社は本当に「氣」がいいですね^^ マイナスイオンなのか「神氣」に満ちていると言いますか........。
階段を上り切った辺りからガラッと「神域」に入ったような、祭祀場も。現代の薄汚れた3次元の「氣」とは違う感じがします。「氣」や「風景」も当時の雰囲気を保ち続けているような、懐かしい感じを受けます。
ここが昔「海」だった雰囲気をのこしている感じがするんですね。
..................... .......
社伝によりますと、崇神天皇の御代(紀元前97年〜30年)に出雲大社より歓請したのが創建とされますが、実際には奈良時代(710年〜794)との説があるとの事です。
神武天皇が紀元前711年〜ですので、奈良時代の頃ではないでしょう。
(教わって来た「奈良時代」にも聞き捨てならない「ウソ」があるようですょ💦このまま貫き通していくつもりなんでしょうかね!? 学会さんは)
氷川女體神社に関しましては、縄文時代中期から晩期(諸説ありますが、約5500年前〜約3400年前〜)の遺跡によって集落の存在が確認されていますし、古代祭祀が行われていたのは間違いないと思われます。
気になりますのは、氷川女體神社に伝わる伝説というものがあるそうで、削除、脚色、加筆された可能性があるとはいえ、登場してくるのは「神武天皇」のようです。
地名などにあてられている漢字も違っていますね。
言い伝えの舞台は「海」だったり「沼」だったりとのことです。
「海」だった時代があるんですょね、関東は。
どの程度まで「海」だったのかは想像できませんが、群馬の前まで水が入っていたともされています💦
縄文海進は、最終氷期の最寒冷期後約19000年前から始まったとされ、氷床(グリーンランド)から遠く離れた日本の地域で100メートル以上の上昇となったそうです。
ピーク時は約6500年前 - 約6000年まで上昇が続き、日本は縄文時代です。
以前住んでいた所で土の中から「貝殻」が出てくるんでフシギに思っていました(笑)
水が徐々に退いていき「沼」になり.........そんな地球環境の大変遷のなかで人々は生き、柔い土地の上に住んでいるのであろうなぁ.......と思います💦そういう大昔の面影をあの辺りに感じられます。
神武天皇は縄文時代ではないですし、氷川女體神社を創建なされたのも崇神天皇ですので、どんな理由、背景があり、こちらの両天皇の存在が混乱させられるようになっているのか気になります。
以下は、自身が理解する上でのメモという事であります_(._.)_
伊勢神宮と斎宮制の成立は,同時に多く〜の国津神が大国主神へと統合されて天皇の守護神へと再編成されてゆく過程でもあった。
神宮の創始と国津神の統合,それによる王権の確立という時期は実年代ではかなり下るものと思われる。
しかし、王権と、神宮を頂点とする神々の秩序とは国の始まりとともになくてはならないとする意識が天皇家の始祖の観念と結合したとき,もろもろの制度や文物をつくり出した王として崇神天皇が語り伝えられたのであった。
かくして崇神は,伊勢神宮の創始にかかわった王として〈天神地祇(あまつかみくにつかみ)〉の神社を定め,それらの神々によって守護された〈御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)〉と称された。: 世界大百科事典
『日本書紀』において👇
神武天皇 → 「始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)」
文字は違うが読みは通じ、ともに「初めて国を治めた天皇」を意味する。
「建国の祖」という神武の統治は大和(やまと)の範囲にとどまった。
崇神は大和の四周を平定し、内治の充実に尽くしたと伝えられる。
そこで崇神を実質的な建国者とみる立場から、本来、崇神の敬称であったこの称が、のちに、大和政権の起源を古くするために造作された神武にも及ぼされて同じ称呼になったのではないかとする説もある。
「国生み」の伊奘諾神や、皇祖神たる天照大神はもとより、「天孫降臨」の瓊瓊杵尊を始めとする「日向三代」も天皇ではない。
また、「建国者」崇神は、初代ではなく、第十代だ。この答えは、実は簡単だ。
神武は「天皇家」という氏族の始祖なのだ。
九州から大和の地にやってきて「天皇家」という氏族を築いた。それが神武なのだ。つまり、「建国者と始祖は別」なのだ。
「氏族の始祖と建国者が別」という概念は、常軌を逸したものだろうか。そんなことはない。
例えば源氏。鎌倉幕府を建てたのは源頼朝だ。だが、彼は源氏の始祖ではない。
中国歴代の王者達も、決して初代の皇帝が、彼等の始祖なのではない。
むしろ、彼等の祖先からの勢力基盤の上に立って、それを背景にしながら徐々に力をつけていった、それが自然なあり方だ。
九州から大和にやってきて、建国者・崇神の勢力基盤を作った祖が、神武だったのである。
引用: ハツクニシラス考
「古代の日本人が海外へ行った形跡は残されているのでしょうか?」
神武天皇やそれ以前の天皇がイスラエルほか異国へ行ったとする証明のようなものは!?
竹取翁博物館の館長さんによりますと、アフリカのマリ共和国に住む「ドゴン族」のお宅で、「縄文式土器」がたくさん使われていたとの事です。
(目安として、縄文時代草創期は約16000年前〜と言われます)
砂漠のオアシスで縄文式土器の破片を見つけ、砂の中から縄文式土器と貝殻を拾ったそうです。
それを縄文式土器の研究の第一人者である小林達雄教授(現・国学院大学名誉教授)に検証をお願いしたところ、間違いなく縄文式土器であることが判明したとされます。
● 「ドゴン族」特有の「神話」の影響から宇宙人と交信していたことが彫刻等から考えられています。
● 「ドゴン族」が、現代科学をもって成し遂げた天文学的に高度な知識を7000年前にもっていたという説があります。
ドゴン族の言い伝えでは、
地球は太陽の周りを回っている
土星にはリングがある
木星は4つの衛星を持っている
月はとても乾燥している
など、木星の衛星は正確には16個あるが、ここからも高度な天文知識を持っていることがわかる。
● ドゴン族の骨格をなす四組の「父系血縁集団は神話に必ず登場し、その血筋を引くそれぞれの集団の宗教的権威を高めている。」
● 外部からの民族により山間部に追いやられたが、本来は精霊や霊魂を自然崇拝するアミニズム信仰をもっていた。
「知の起源・文明はシリウスから来た」の著者は、ドゴン族が古代エジプト文明、シュメール文明の伝統を受け継いだと推定し、大変古い人類の出現の時期の記憶を伝承している可能性があると述べています。
(古代エジプト文明、シュメール文明も.......「.日本人が......!?」かもしれませんょ💦)
以下の引用で、「箱舟」とされるものとはもしかして........!?
バビロニア人はオアンネスを崇拝し、巨大な神像を建立する一方で、文明を与えてくれた恩人のことを「気味が悪く嫌悪すべきもの」と呼んでいたのだ。
(現代でバビロニア界隈の人 が嫌悪している人種って!?)
バビロニアの伝承と同じく、ドゴン族も水陸両棲体が地球文明の創始者であると伝えている。
この水陸両棲体は「ノンモ」と呼ばれる。
「ノンモの玉座は水底にあった」と伝えられるように、基本的には水の中でしか生活できない。ノンモの一団を地球に派遣したのは、宇宙の最高神「アンマ」であるという。
この「アンマ」という言葉は、古代エジプトの神アモンから転訛したものと思われる。ノンモの一団は箱舟で天界より来臨し、箱舟を旋回させながら着陸したという。
着陸地点は彼らの住居地から北東ということで、現在のエジプトないし中東近辺を指していると考えられる。
箱舟は乾いた土地に降下し、旋風を巻き起こして土煙をあげたとされる。
着陸の衝撃により、地面は凸凹になった。
そして方舟は地面を横滑りしたという。また方舟が着陸するとき、ノンモの声が四方に飛んだとも伝えられる。
おそらく方舟は大音響をたてながら、現代の飛行機の様に地面を滑走して着陸したのだろう。箱舟が降りてくるとき、空間は四つの角をもった。
箱舟が着陸したとき、空間は四つの辺をもった、と伝えられている。箱舟は「十番目の月の星」と呼ばれた。
ノンモは箱舟と共に帰ってしまったが、ふたたび地球に戻ってくるという。
ドゴン族が待望する「ノンモの復活」である。
土器について「竹内文書」には、こう書かれているそうです。
天皇の命令で土器をつくり出した尊(ミコト)が、「土器の造り方を教えるために万国へ出かけた」。
上古1代・天日豊本葦牙気皇主身光大神天皇(あめのひのもと あしかびきぬしみひかり おおかみすめらみこと)の時代に、天豊埴安ほがら彦尊(あめとよはにやす ほがらひこのみこと)は、土器造りの創始と伝播を行いました。
奇想天外トンデモな内容になってしまいましたが💦
証明される文献だの、血統の言い伝えなど日本にはたくさんあるはずですので、今後あらわれてくるのでしょう。
現在まで流通している、できている「人気のあるもの=ベストセラー」は、西洋の支配者らのお墨付きのものではないでしょうか!? OKが出されたもの。
本当の真実が書かれてあるものは封殺されてきたんだと思われます。
その上、結社の最上階位に位置するらしい人!?が「何とか文明」の本をたくさんお書きになられているそうですので、フェイクやフィクションが事実として世界的に認識されてしまっている可能性が高いです。
発見された「死海文書」(来日し古い古事記を学んだモーセが書いたとされる旧約聖書)も出版される予定だったみたいですが、「日本」のことが書かれてあるので、英国の長生きされている女王さまに差し止められたとも聞きます。
一言で言えば「プライド」なのでしょう。
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こういう事情があるので歴史や宗教のストーリーも、そこに辿り着かないように創作されているのだと思われます。
事実は小説より奇なりですが、広まってしまった「ウソ」を真実と認識(自身も含めてW)してしまっていますので、事実のほうが「トンデモ」あつかいを受けるという...........
あべこべな世界に住んでいます(笑)
日本人は威張ったりしませんのでW 日本の真実が書いてあるものくらい出版させてくださいね^^;って思います。
そのうち出てくるでしょうが。
まとまりのない長文になってしまいました_(._.)_
お読みになってくださった方ありがとうございます (゚д゚)ノ